「静岡(遠州)三羽ガラス」の一角を担い、同期の菊池孝平選手、坪井康晴選手とともに静岡支部では非常に人気の高い選手が横澤剛治です。
競艇選手の横澤剛治って一体なにもの?
また、菊池孝平選手は競艇だけではなく、浜松で雑貨と洋服のインポート品を中心としたセレクトショップを開業しているなど経営者としての一面も持っています。
そんな横澤剛治の競艇の実力や成績、またお店の情報までリサーチしました。
生年月日や出身地
横澤剛治(よこざわこうじ)は1977年7月4日生まれで静岡県浜松市出身、静岡支部所属の競艇選手です。
身長は167cm、体重は57kgで、競艇選手としてはやや重量級、血液型はO型、2019年1月時点では41歳です。
82期として登録、登録番号は3956、級別はA1級で、静岡三羽ガラスの一人です。
競艇選手になったきっかけは?
初めてボートレースを見た時に鳥肌が立ったことが競艇選手を目指したきっかけと語っています。
地元が浜松市で浜名湖競艇場には近く、初めて見た年齢はわかりませんが、高校卒業後には本栖研修所に入所しているのでそれ以前のタイミングで見る機会があったということなのだと思います。
ボートレーサーとしての目標
ビックレースで優勝することだと語っています。
成績について詳しくは後述しますが、現時点ではG2優勝はしているものの、G1、SGでは優勝に手が届いていないので、目標は達していないのかな?という感じですね。
趣味や特技など
静岡県出身ということで、サッカーの経験者で県大会ベスト8の実力を持っています。
趣味としては釣り、買い物、サーフィンをあげており、アウトドアが好きみたいです。
また、好きな食べ物を魚料理と答えているあたりも含めて、特に水辺との相性が抜群なのでしょう。
静岡(遠州)三羽ガラスの一角
静岡支部で同じ82期生の坪井康晴、菊地孝平、横澤剛治の3人組は静岡(遠州)三羽ガラスと呼ばれています。
非常に仲が良く、家族ぐるみの付き合いもしているとのことです。
セレクトショップ『GEE』を開業
ボートレーサーとして活躍するかたわら、横澤剛治は2013年5月に、地元浜松市で主に雑貨、洋服のインポート品を中心に取り揃えたセレクトショップ『GEE』を開業、オープンしました。
オープンに至った経緯としては、以前からアウトドアグッズや海外ブランドのショップ経営に興味があり、2012年4月に持ちペラ制度が廃止となった事で、プロペラ作りに使っていた工場が空いてしまったということもあり、友人たちと改装してお店にしたのだと言います。
ネットでショップを見てみると、売り切れが物凄く多く、繁盛しているのだなぁと感心しますね。
公式twitter
2010年4月に開設されたツイッターは、最初期なかなり色々と呟いていたようですが、2014年を最後に呟きがストップし、現在はスマホゲームと紐ついた投稿だけになっています。
ソシャゲ好きなのかな?という側面が垣間見えますね。
住之江がはじまります。気持ち上げてのぞみます!
応援よろしくー!— よこ (@jahrastayoko) 2013年2月7日
公式facebook
開設時期は不明ですが、フェイスブックにも横澤剛治本人のアカウントが存在しています。
中身は確認していないので、興味のある方はチェックしてみてください。
横澤剛治のレーススタイルと特徴
平均スタートタイミングはどちらかというと遅め地元である浜名湖競艇場での水面を知り尽くしており、モーターとペラの高い調整能力を駆使した機力出しに定評があります。
また、特に天候の変化に強く『荒水面のスペシャリスト』とも言われていて、穴狙いの時には舟券に入れていきたい存在です。
横澤剛治の競艇選手としての成績
本栖研修所時代のリーグ勝率は7.40で82期生の中で堂々の2位という成績を残しています。
「82期七人衆」の赤岩善生、坪井康晴、菊地孝平、中澤和志、作間章、原田秀弥という猛者達の中での2位と考えると、優秀な成績だったと言えますね。
そんな彼のプロデビュー後の成績はどうなっているのでしょうか?
プロデビューは1998年5月の出来事
1998年5月8日に浜名湖競艇場でプロ初デビューを飾り、初出走初勝利という素晴らしい成績を納めました。
5号艇、6コースからトップスタートでの決まり手はまくりでした。
デビュー戦で勝利を手にする競艇選手はかなり少ないということを考えると、抜きんでた性能だったと言わざるを得ないですよね。
1999年9月に初優出
1999年9月4日から江戸川競艇場で開催されたG3’99新鋭リーグ戦競走第15戦にて初優出を記録します。
優勝戦では5着となりましたが、A1選手達との戦いぶりは見事でした。
G1初出場と初勝利は2000年
優勝こそないものの、A2級へと昇格した横澤剛治は2000年2月3日から蒲郡競艇場で開催された第45回東海地区選手権競走にて、G1初出場を飾ります。
初出走では3着に終わるものの、同5日目2Rでは1号艇4コースからのまくりでG1初勝利を手にしました。
SG初出走は2001年
競艇選手として名誉とも言える笹川賞、2001年5月15日から浜名湖競艇場で開催となり、横澤剛治はここで初めてのSG出場を果たしました。
初日1Rは2号艇5コースから惜しくも2着となりましたが、最終日までを通して、一度も6着は取らず、初出場ながら大健闘しました。
掴み取る初優勝も2001年
SG出場も果たし、着実に勝ち星をあげ、A1級に昇格した2001年についに優勝をその手にします。
2001年10月31日から江戸川競艇場で開催された第3回日本財団会長杯争奪戦競走での優勝戦で2号艇2コースから出走、決まり手はまくりで悲願の初優勝を飾りました。
更に11月26日からびわこ競艇場で開催された一般競争でも1号艇4コース出走、決まり手は差しで2度目の優勝を手にしました。
G3優勝を飾る2003年
A1級へと定着し、2002年も一般戦で優勝を果たし、期待の高まった2003年は5度の優勝を記録しました。
そのうち、2003年9月23日から福岡競艇場で開催されたG3 2003新鋭リーグ戦競走第17戦でグレード戦での優勝を記録しました。
4号艇出場、5コースからの綺麗なまくりでした。
紆余曲折の2004年
2004年3月9日から三国競艇場で開催された三国50周年北陸艇王決戦にてG1初優出を記録しました。
5号艇5コースから出走した優勝戦は4着に終わりました。
更に、2004年3月23日から福岡競艇場で開催されたSG第39回総理大臣杯にて、横澤剛治はなんと、SG未勝利ながらも優勝戦に駒を進めました。
中々みられないケースですが、初日から3着、2着、3着、2着、4着、2着と得点をあげていたのが幸いしたみたいですね。
迎えたSG初優出、優勝戦では…痛恨のフライングを起こしてしまいました。
SGの優勝戦でフライングをするということは、1年間SG出場停止という大きなペナルティが課される上、多大なる返還となってしまった事から、今でもそれがトラウマになっているんじゃないか?とも言われています。
とはいえ、9月にはG3の優勝、11月には一般戦の優勝を手にしています。
遅れてきたSG初勝利は2006年
SG未勝利ながら優出を飾ってから2年が経過した2006年、7月25日から若松競艇場で開催されたSG第11回オーシャンカップ初日8RにてSG初勝利を手にしました。
3号艇3コースで出走、決まり手は恵まれでした。
届かないタイトル戦の優勝
2005年は12回の優出で3度の優勝、2006年は11回の優出で4度の優勝、2007年は17回の優出で、3度の優勝のほか、一度も6着にはならず、2着が6回とかなり惜しいものが多くありました。
続く2008年は12回の優出で2度の優勝、2009年は11回の優出で1度の優勝、2010年は19回の優出で3度の優勝、2011年は13回の優出で5度の優勝と、6年間のうちにG1、SG共に優出まで果たしていますが、そのタイトルを手にすることが出来ないまま年月は流れていってしまいます。
もちろん、A1級として安定しており、優勝もし続けていたのですが、どうしてもタイトルに手が届かない日々が続きました。
遂に手にしたG2優勝
惜しい、あと一歩と言われ続けた横澤剛治は2012年10月3日から江戸川競艇場で開催されたG2江戸川634(ムサシ)杯モーターボート大賞にて優勝を飾りました。
峰竜太や井口佳典といったトップレーサーを相手取り、2号艇2コースからの決まり手まくりは感動的でした。
更に11月1日から宮島競艇場で開催されたG1宮島チャンピオンカップ開設58周年記念でも優出、艇王松井繁には一歩及ばなかったものの、堂々の準優勝を手にしました。
途切れない連続優勝の数々でしたが…
2001年に初優勝を手にしてから、実に2017年までの16年間、毎年必ず優勝を記録していました。
ただ、2018年にはその優勝が途絶えてしまっています。優出のペースは例年と変わらずだったので、大きなトラブルというわけではなさそうです。
まとめ
横澤剛治が掲げる、競艇選手としての目標であるビックレースの優勝は、未だに未達成となっています。
三羽ガラスの中では唯一SG優勝を果たしていないですが、着順を見れば、G1やSGの優勝圏内ではあるので、2018年の鬱憤を2019年に大爆発させるのでは?と密かに期待しています。
荒天時には、舟券投票をして今後の活躍を見守ってみてください。