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競艇選手の坪井康晴(つぼいやすはる)は脅威の強さと3連対率を誇る凄腕レーサー

競艇 坪井康晴
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ボートレーサー

同期の菊池孝平選手、横澤剛治選手とともに「静岡(遠州)三羽ガラス」に数えられ、SG優勝経験もある凄腕のボートレーサーです。

競艇選手の坪井康晴ってどんな人?

坪井康晴は、特に6コース以外なら絶対に舟券を買うべきだ!と言われる程の凄まじい3連対率で、全国的にも非常に知名度が高い競艇選手です。

生年月日や出身地

坪井康晴 生年月日

坪井康晴(つぼいやすはる)は1977年10月7日生まれで静岡県浜松市出身、静岡支部所属の競艇選手です。

身長は164cm、体重は53kgで血液型はO型、2019年1月時点では41歳です。
82期として登録し、登録番号は3959、級別はA1級で、静岡三羽ガラスの一人です。

競艇選手になったきっかけは?

競艇選手になったきっかけ

高校卒業後の進路を考えていたときに、ボートレーサーという道を知ったからとのことですが、もう少し掘り下げると、母親が当時、浜名湖競艇場で働いていたということ、そして静岡県立浜松城北工業高等学校の先輩である徳増秀樹(登録番号3774)が競艇選手としてデビューしていたというのが大きな理由となったみたいですね。

ボートレーサーとしての目標

賞金王になり、60歳まで現役でいることです。

と語っています。

SG優勝の経験や、「平成15年最多勝利選手」に輝いたこともありますが、賞金王の経験は一度もありません。
今後この目標を到達できるだけのポテンシャルは十二分にあるので応援したいですね。

趣味や特技など

特技として挙げている体操は、県大会で2位になった事もある程の実力者で、他にも静岡県ならではのサッカー経験者でもあります。
趣味として読書とサーフィンを上げており、休日になるとジムに行ったりプロペラの修整を行うなど、勤勉家でもあり、スポーツも万能な競艇選手ですね。

静岡(遠州)三羽ガラスの一角

静岡支部で同じ82期生の横澤剛治、菊地孝平、坪井康晴の3人組は静岡(遠州)三羽ガラスと呼ばれています。

同年代でもあり、本栖研修所時代から切磋琢磨しあった良きライバルであり一生の仲間といったところでしょうか。

坪井康晴のレーススタイルと特徴

坪井康晴のレーススタイルと特徴

何かに突出しているというわけではなく、どちらかというと全てのパラメータが満遍なく高い万能タイプと言え、その走りは非常に安定感があります。

平均スタートタイミングは0.17と、SG級のトップとは言えない数字ですが、それを覆せるほどの巧みなボート捌きで、イン逃げ、まくり、まくり差しなど、変幻自在とも言える、様々な決まり手でファンを魅了します。

6コース以外であれば、3着以内にほぼ確実に入るとも言われる程に、3連舟券を買う上では非常に信頼度の高い選手ですね。

坪井康晴の競艇選手としての成績

坪井康晴 成績

本栖研修所時代の成績は、調べてみましたが見つかりませんでした。

ただ、同期の赤岩善生、菊地孝平、中澤和志、作間章、原田秀弥、横澤剛治などと共に「82期七人衆」と言われていたので、トップクラスの選手であったことは間違いなさそうです。

それでは、坪井康晴のプロデビューからの成績を探っていきましょう。

1998年5月8日にプロデビューを飾る

1998年5月8日に浜名湖競艇場にて競艇選手としてプロデビューとなりました。
4号艇、6コース出走で3着という堂々の成績を納めました。

1998年7月に初勝利を記録する

1998年7月9日から三国競艇場で開催された一般戦、初日2Rにて初勝利を飾りました。

4号艇6コースから、決まり手は差しでした。

また、同3日目の3Rで早くも2勝目をマークするなど、非凡な才能を発揮します。

1999年12月に初優出

初勝利まではかなり早かったのですが、優出までには、デビューから約1年半後の1999年11月30日から常滑競艇場で開催された開局7周年記念JLC杯争奪戦競走にて初優出を果たしました。
4号艇5コース、着順は5位でした。

また、実はこの初優出よりも前にG1初出場を記録しているという少し変わった経歴があり、1999年10月26日から浜名湖競艇場で開催されたダイヤモンドカップ競走の5日目、5RでG1初出場を飾るも、不運のS1にて失格となりました。

初優勝は2000年

初優勝は2000年

しっかりと成績を積み重ね、A2級へと昇格した2000年10月19日から徳山競艇場で開催された一般競争にて初優勝を手にしました。

1号艇4コース出走、2艇のフライングがあり、決まり手は恵まれとなりましたが、立派な優勝劇でした。

G1初勝利の2001年

2001年1月23日から浜名湖競艇場で開催された第15回新鋭王座決定戦競走初日10Rにて、6号艇4コース出走、決まり手はまくり差しでG1初勝利を飾りました。

また、同4日目2Rには、4号艇6コース出走、決まり手は差しでしっかりと2勝目をマークしています。

G1優出とSG初勝利を飾る2003年

2003年9月23日から津競艇場で開催されたG1第32回つつじ賞王座決定戦開設51周年記念競走にて初優出を果たしました。
1号艇5コース出走で堂々の2着と健闘しました。

更に、2003年11月25日からびわこ競艇場で開催されたSG第6回競艇王チャレンジカップにてSG初出場、2号艇2コースから出走しての3着という結果でした。
同節4日目5Rでは1号艇1コース出走で決まり手抜き、SG初勝利を飾りました。

2003年は6度の優勝を果たしました。

G1初優勝の2005年

G1初優勝の2005年

2004年は二つの優勝のみでしたが、2005年2月11日から開催されたG1第50回東海地区選手権競走にて、遂にG1初優勝を手にしました。

優勝戦では1号艇1コース出走で決まり手は逃げ、完璧な優勝でした。

また、8月にはG2第49回秩父宮妃記念杯でも優勝を果たしています。

2006年、遂にSG初優勝

2006年、遂にSG初優勝 坪井康晴

着々と成績を上げていった2006年は6月20日から浜名湖競艇場で開催されたSG第16回グランドチャンピオン決定戦競走にてSG初優勝を飾りました。
1号艇1コース、綺麗な逃げでファンの人気にしっかりと応えました。

更に2006年7月16日から徳山競艇場で開催されたG1徳山クラウン戦争捕戦開設53周年記念では2度目のG1優勝を手にする等、一躍トップレーサーの仲間入りを果たしました。

2007年珍記録を達成

2007年8月2日から大村競艇場で開催されたG2第11回競艇祭〜競艇マクール賞〜にて優勝を果たしたことで、2005年のG2第49回秩父宮妃記念杯と合わせて2007年当時年に2回しか開催されていなかったG2の両方を優勝したという珍記録を達成しました。

2008年に二度目のSG優勝

SG第11回競艇王チャレンジカップ

2007年は2度の優勝、2008年は5度の優勝のうち、一つは9月に常滑競艇場で開催された開発55周年記念競走G1マーメイドグランプリ、もう一つは11月に浜名湖競艇場で開催されたSG第11回競艇王チャレンジカップと、重賞2つ獲りの大快挙を果たしています。

3度目のSG優勝を手にした2016年

トップレーサー 坪井康晴

2008年のSG優勝から3度目までは8年間を要しましたが、その間に優勝した回数は27回に及び、そのうち、6回はG1優勝と常にトップレーサーとして走り続けていました。

そしてついに2016年3月16日から平和島競艇場で開催された第51回ボートレースクラシックにて3度目のSG優勝を果たしました。

まとめ

目標の賞金王達成

これだけの凄まじい成績を残していても、賞金王に輝くというのは本当に難しいことなのだなと感じさせられるわけですが、常に安定した走りで優勝を手にしている坪井康晴選手なので、目標の賞金王達成を是非成し遂げて欲しいですね。

この記事の監修者
佐々木 雄介
競艇予想サイトNAVI 運営責任者【北村 功平】
1978年 2月11日生まれ。一橋大学卒業。大学時代から競艇にハマり、そのまま好きが高じて某スポーツ新聞社に入社。競艇をはじめ、競馬や競輪関連の記事を長らく担当。生粋の競艇好きで、休みの日もビールを片手に全国の競艇場に姿を表す。競艇を愛して22年、彼以上の競艇知識を持つ人間にはほとんど出会えない。競艇予想サイトNAVIでは全体監修を担う大黒柱。
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