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【佐々木裕美選手】競艇の死亡事故を乗り越えた彼女を詳しく解説

ボートレーサー

みなさんは、競艇の死亡事故で夫を亡くしてしまった佐々木裕美選手という競艇選手をご存知ですか?

水上の格闘技ともいわれている競艇は、水面で6艇のボートが競走し、着順を競い合う競技です。

体感速度は100kmを超えるともいわれており、ボートの重さはなんと70kgにも達します。

このように非常に過酷な競技である競艇は、男性の選手が特に多く、競艇選手の半分以上を占めています。

しかし、女性選手も負けていません。男性選手に負けない、手に汗握る熱いレースを繰り広げ競艇界を盛り上げています。

今回紹介する佐々木裕美選手も、女性選手で活躍している競艇選手のうちの1人です。

佐々木選手は、貴重な女性レーサーとして競艇界では人気の選手なのですが、コアな競艇ファンであれば知っているかもしれない珍しいエピソードの持ち主なのです。

佐々木選手は、婚約していた、同じく競艇選手である坂谷選手を競艇の事故によって亡くされています

そこで本記事では、まだ佐々木裕美選手を知らないという人向けに、佐々木裕美選手の特徴や詳細についてや、旦那である坂谷選手の死亡事故についてなどを詳しく紹介していきます。

佐々木選手について気になるという人は、ぜひチェックしてみてください。

佐々木選手については以下の記事でも紹介しているので、ぜひチェックしてみてください。

失った夫の思いを胸に、不屈の精神で戦う競艇選手の佐々木裕美とは?

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佐々木裕美選手について詳しく紹介!

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はじめに、佐々木裕美選手がどのような競艇選手なのかについて詳しく紹介していきます。

佐々木選手の詳細について知りたいという人は、ぜひチェックしてみてください。

佐々木裕美選手のプロフィール

名前佐々木裕美(ささきひろみ)
生年月日1979年10月3日
身長162cm
血液型O型
登録番号4045
出身地山口県
所属支部山口支部
登録期85期
師匠小林昌敏
デビュー1999年11月

山口県出身の佐々木選手は、幼少期にボートレースを見て憧れを感じたことをきっかけに競艇選手を目指すようになったそうです。

ボートレース以外にもスポーツは万能で、特に少林寺拳法では学生時代に地元の中国地方の大会で優勝した経験もあります。

20歳となった1999年の11月10日に、下関競艇場で行なわれたレースにてデビューを飾り、翌年の8月30日、丸亀競艇場で行なわれたレースにて初勝利を挙げています。

綺麗な見た目からファンも多く、美人レーサーとして絶大な人気を集めているのが佐々木選手の最大の特徴といえます。

以下の記事では、女性レーサーについて詳しく紹介しているので、気になる人はぜひチェックしてみてください。

競艇女子のかわいい&美人ボートレーサーランキングTOP13!2024年最新

競艇の成績

佐々木選手の勝率は5.52とまずまずの数字で、2連対率は40.3%、3連対率は50%となっており、およそ半分の確率で舟券に絡んでくる選手だということがわかります。

デビューから1年弱で初勝利を挙げた佐々木選手ですが、さらにその翌年、徳山競艇場で行なわれた一般競走にて初優勝し、その後も順調に好成績を収めています。

選手としての特徴

佐々木選手はスタートダッシュを得意としており、スタートの平均タイムが0.16とかなり優秀な部類となります。

佐々木選手の凄みはこれだけではなく、スタートがこれだけ早いにも関わらず、フライングが非常に少ないという特徴があります。

これまでにフライングを犯してしまったことは1度しかなく、計算のしやすい選手としてとらえられるため、予想する側にとってはとてもありがたい選手だといえます。

また、女性レーサーはインコースに弱いとされている中、佐々木選手はインコースを得意としており、1コースでの1着率は75.6%となっており非常に高い数字をキープしております。

イン逃げが得意な女性レーサーとして、40歳を超えた今でも第一線で活躍している佐々木選手から目が離せません。

家族構成

競艇選手として順調に成長過程を辿っていた佐々木選手は、2004年に同じく競艇選手である坂谷真史選手と結婚。

その後男の子の赤ちゃんを出産します。

凱旋門から名前を取り『凱くん』という名前をつけたそうです。

産休に入っていた佐々木選手ですが、2006年に競技へ復帰しますが、その翌年に悲劇が起こります。

2007年、住之江競艇場で行なわれたレースに出走していた旦那である坂谷選手が、競艇の事故により亡くなってしまったのです。

最愛の家族を亡くした佐々木選手は、息子を守るため競艇を続行することを決意し、今でも第一線で活躍しています。

坂谷選手の詳細や事故に関しては、以下の項目で詳しく紹介していきます。

坂谷選手の命を奪った事故について解説

次に、佐々木選手の旦那である、同じく競艇選手だった坂谷選手の命を奪った事故について詳しく紹介していきます。

競艇とは、常に死と隣り合わせの非常に危険な競技だということを忘れてはいけません。

坂谷選手の死亡事故について気になる人はぜひチェックしてみてください。

坂谷選手はどんな選手だったのか

死亡事故について紹介するまえに、まずは坂谷選手が現役時代はどのような選手だったのかについて紹介していきます。

名前坂谷真史
生年月日1980年3月10日
出身地福井
所属支部福井支部
登録番号4048
所属期85期
A1級

福井県出身の坂谷選手は、最高ランクのA1級の一流レーサーでした。

坂谷選手は、佐々木選手と同じ85期の選手で、競艇界の85期といえば数々のスターを輩出しており、豊作の年だといわれています。

坂谷選手はデビュー直後から活躍し、デビューから4年後にはG1 レース出場、SG戦3位入賞という結果を残しています。

優勝こそありませんでしたが、事故がなくこのまま成長を遂げていれば、今頃恐ろしい選手になっていたのではないかと競艇界では噂されているほど、とても期待値の高い選手でした。

悲劇が起きたのは2007年2月26日

競艇界でも期待値の高い、これからが楽しみだといわれていた坂谷選手を悲劇が襲ったのは、今からおよそ15年前の2月26日、住之江競艇場で行なわれたレース中のことでした。

6コースからのスタートとなった坂谷選手は、2周目の第一ターンマークをターンしようとした際、他の艇と衝突してしまい転覆。

坂谷選手は、水上に投げ出され、その後運悪く後続の艇に衝突されてしまいました。

すぐさま救急搬送され病院にて手当を受けましたが、同日の昼間に死亡が確認されました。

26歳というあまりにも早すぎる死に、佐々木選手と親族はもちろん、競艇界全体が悲しみに暮れました。

そのレースで1位となった松井繁選手は勝利後のインタビューでは一切笑顔を見せることなく「競艇選手は命をかけて一生懸命戦っています」と語り、競艇の難しさを訴えました。

競艇で起こったその他の死亡事故について紹介

次に、競艇で起こったその他の死亡事故について紹介していきます。

競艇による不慮の事故によって命を断たれてしまった坂谷選手ですが、競艇の事故によって命を落としてしまった選手は坂谷選手だけではありません。

実に、過去には坂谷選手を含めた33名の選手が競艇の事故によって亡くなっています。(2022年11月調べ)

以下では、その中でも競艇界に衝撃を与えた死亡事故を紹介していきますので、気になる人はぜひチェックしてみてください。

鈴木詔子選手

通算の出走回数が4,700回を超える、競艇ファンなら1度は名前を聞いたことがあるベテランの女性レーサーです。

鈴木選手が事故に遭ってしまったのは、2013年11月2日、下関競艇場で行なわれたレースの試運転中の出来事でした。

所定の位置へ移動する際に猛スピードで走行し、その際に岸壁へ衝突。

脳挫傷により帰らぬ人となってしまいました。

ニュースでも「鈴木選手ほどの大ベテランがなぜこのような事故に?」と疑問を呈するほどで、競艇界には衝撃が走りました。

モーターやプロペラの不具合でボートが故障していたのか、それとも鈴木選手自身の体調等が良くなかったのか、真実は闇に包まれたままですが、鈴木選手ほどの経験を積んでいる選手でもこのような事故に遭遇してしまう可能性があるということがわかった出来事でした。

鈴木選手の死を無駄にしないためにも、いくら経験のあるベテランの選手であっても、無事故への意識準備は怠らないでいてほしいものですね。

中島康孝選手

1999年にデビューし、当時26歳だった中島選手も、競艇による事故によって命を落としてしまった選手のうちの1人です。

デビュー直後から安定した成績を残していた中島選手は、将来有望な若手として注目されていましたが、2004年に悲劇はおきました。

3月28日、尼崎競艇場で行なわれたレースに出走した中島選手は、1周目の第二ターンマーク付近にて、中島選手の内側に位置していた艇と衝突し、消波装置へ激突。

そのままボートから投げ出される形となり、帰らぬ人となりました。

26歳だった中島選手は、結婚したばかりということもあり、人生これからという時期でした。

坂谷選手同様、これからが期待されていた若手選手の死亡事故は、今後一切起きないことを願うばかりです。

競艇の大事故から復活を遂げた選手も!

佐々木裕美 競艇 死亡事故

上記では、佐々木選手の旦那である坂谷選手の死亡事故についてや、その他の競艇の死亡事故について紹介しましたが、競艇の大事故から復活を遂げた選手も存在しています。

以下では、競艇の大事故から復活を遂げた植木通彦選手について紹介していきますので、気になる人はぜひチェックしてみてください。

植木選手は一流レーサーだった

約70年の競艇の歴史の中でも、レジェンドと呼ばれている選手はそう多くはありません。

その中でも、競艇ファンからレジェンドと呼ばれていた選手がこの植木選手です。

かつては『艇王』と呼ばれており、SG戦の優勝回数は5回を記録。

生涯獲得賞金も歴代5位という、記録にも記憶にも残るレーサーでした。

1989年に起きた悲劇

1989年1月16日、桐生競艇場で行なわれたレースに出走した植木選手でしたが、ボートが転覆した際、後続の艇に衝突され、75針を縫う大怪我を負いました。

とても危険な状況で、命を落としても仕方がないというほどの事故でしたが、なんと半年後には競技に復帰。

しかも、嫌な思い出のある桐生競艇場で復帰をしたのです。

この頃から植木選手は『不死鳥』と呼ばれるようになり、復帰後は好成績を残しました。

以下では、植木選手について詳しく紹介していきますので、気になる人はぜひチェックしてみてください。

競艇界の不死鳥!?艇王と称された植木通彦のボートレーサー人生を振り返り特集します。

復活した不死鳥

競艇界が驚く大事故から見事復帰を果たした植木選手は、G1戦で優勝を飾るなど、事故の影響を思わせないほどの活躍ぶりで競艇ファンを驚かせ続けました。

2007年の引退まで、常に競艇ファンを熱くしてくれる一流レーサーとして活躍してくれた植木選手には、今でもファンがついているほどです。

競艇の死亡事故は絶対に起こってほしくないこととして、亡くなった選手のことを絶対に忘れてはいけませんが、植木選手のように奇跡の復活を遂げた選手もいるということを、ぜひ知っておいてください。

まとめ

佐々木裕美選手の特徴や詳細についてや、旦那である坂谷選手の死亡事故についてなどを詳しく紹介しました。

最愛の旦那を競艇の事故で亡くされるも、息子を守るという強い意志のもと、今でも第一線で活躍している佐々木選手は、男性レーサーに負けないくらいのかっこよさがあります。

競艇での死亡事故が今後起こらないことを願うとともに、これからも佐々木選手の活躍に期待しましょう。

佐々木裕美選手について気になっている人は、ぜひこの記事を参考にしてみてください。

この記事の監修者
佐々木 雄介
競艇予想サイトNAVI 運営責任者【北村 功平】
1978年 2月11日生まれ。一橋大学卒業。大学時代から競艇にハマり、そのまま好きが高じて某スポーツ新聞社に入社。競艇をはじめ、競馬や競輪関連の記事を長らく担当。生粋の競艇好きで、休みの日もビールを片手に全国の競艇場に姿を表す。競艇を愛して22年、彼以上の競艇知識を持つ人間にはほとんど出会えない。競艇予想サイトNAVIでは全体監修を担う大黒柱。
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