宮地元輝は2018年4月にボートレース唐津(唐津競艇場)で開催されたG1「全日本王者決定戦」の優勝戦で、強引な前づけをした上にフライング失格となり、そのレース後から一躍有名人となりました。伝説の前づけとまで呼ばれるほどの行為をしてしまった、宮地元輝とはどのような人物なのか?いろいろと調査してきましたので順番に紐解いていきましょう。
未来のスター軍団100期!宮地元輝って?生年月日や出身地・プロフィールは
宮地元輝は1986年11月9日生まれで身長は169センチです。佐賀県出身で佐賀支部に所属しています。登録期は100期でボートレーサーとしての登録番号は4445となります。100期は未来のスター軍団とも言われていて、同期には桐生順平選手、松尾昴明選手、青木玄太選手、川野芽井選手、鎌倉涼選手、平高奈菜選手らがいます。
また、好きな食べ物はお寿司で、休日は買い物やゴルフやジョギングや練習や旅行をしているそうです。育児をしているとインタビューで答えているので、既婚で子供がいるようですね。
きかっけは漫画モンキーターン
宮地元輝がボートレーサーを目指したきっかけは「モンキーターンを読んで、実際のレースを見てレーサーになりたいと思った」そうです。95期以降からの競艇選手は大抵の人が読んでいるでしょうね。
「モンキーターン」は河合克敏先生が描いた本格的な競艇漫画で、1996年から2005年にかけて週刊少年サンデーで連載されていました。
この漫画は日本船舶振興会からも競艇初心者の入門書として推薦されていて、この作品を読んで競艇選手を目指したというボートレーサーも多いです。
私も読んだことがありますが、競艇養成所であるやまと学校のことや、支部内での仲間との話、師匠と弟子の話、プロペラの改良、怪我やリハビリの話、SGの話、同期やライバルの話、良いエンジンや整備の話など、競艇に関することは全て詰まっている非常に面白い漫画です。ストーリーも良く出来ていて、まさしく競艇入門書にはピッタリの漫画となっています。読んだことが無い方は是非読んでみてくださいね。
デビューは2007年!ボートレース若松にて
宮地元輝がボートレーサーとしてデビューしたのは2007年6月13日です。ボートレース若松(若松競艇場)にて開催されていた一般戦の「マンスリーKYOTEI杯競争」で初出走となります。
初出走のレースでは6号艇6コースで5着という着順でゴールします。この時の1着が伊達喬選手で当時60歳、20歳でデビューした宮地元輝となんと40歳以上の差がありました。ボートレースは年齢はあまり関係ない競技とはいえ、おじいちゃんと孫くらいの年齢差がある選手同士が同じレースに出走するのも凄いですよね。
新人ボートレーサーは、接触や転覆を避ける為などに、スタートが自分のタイミングで切りやすい6コースに自主的に進入する為に、デビュー当初はあまり舟券に絡む事がありません。宮地元輝も例にもれずデビュー直後は6着と5着ばかりでした。
宮地元輝のデビュー年である2007年の成績は、1着と2着は0回で、3着が1回、4着が4回、5着が14回、6着が35回です。フライングが8月8日と10月30日に二回しています。
宮地元輝の実績や成績
宮地元輝のボートレーサーとしての初勝利や初優勝などの実績を調査してまとめました。優秀なボートレーサーが多いと言われている100期の中で宮地元輝はどんな実績を残しているのでしょうか?
初勝利はデビューから約2年後の2009年
宮地元輝はデビュー後から約2年後の2009年2月10日に初勝利を飾っています。これはボートレーサーとしては大分遅い初勝利となりますね。ボートレース芦屋(芦屋競艇場)にて開催された一般戦の「ボートピア勝山オープン15周年記念レース」の三日目に出走し、5号艇6コースからのまくり差しで見事に1位でゴールし水神祭となりました。今まで1位を取ったことが無いうえに5号艇の宮地元輝が1位になったことで、3連単は102,290円の超高額配当となりました。同期がどんどん勝利を重ねている中での未勝利で焦りも募らせていたでしょうから、相当嬉しかったでしょうね。
初優勝は2013年!ボートレースびわこにて
宮地元輝は2013年1月11日から1月15日にかけてボートレースびわこ(びわこ競艇場)にて開催された一般戦「新近江戦国絵巻シリーズ第八戦~奮戦!!下剋上決戦~」で初優勝しています。2号艇5コースから進入した宮地元輝は2位でスタートを切りマクリで見事に1位でゴールして初優勝を飾りました。当時宮地元輝は26歳で最終戦のレースに出走したボートレーサーの中では一番の若手で、シリーズの名前通りに見事に下剋上を果たすことができました。嬉しい初優勝になりましたね。
G1の初出走と初勝利と初優出
宮地元輝がG1に初出走したのは2012年9月25日になります。ボートレース徳山(徳山競艇場)にて開催されたG1「共同通信杯 第27回G1新鋭王座決定戦」の4日目5レースで3号艇で出走しました。G1初出走での成績は4着という着順になっています。
G1の初勝利は2013年1月23日です。デビュー場所と同じボートレース若松(若松競艇場)にて開催されたG1「第59回九州地区選手権競争」の2日目1Rで、1号艇1コースからの逃げで見事に1着でゴールを決めました。翌日の1月24日の予選でも3号艇3コースからまくりで1着を取り初優出もあるかと思われましたが、その後は成績がふるわず予選で敗退となってしまいました。
G1の初優出は2015年9月27日にボートレース尼崎(尼崎競艇場)にて開催されたG1「第2回ヤングダービー」です。宮地元輝は最終戦で6号艇4コースからの進入で4位という着順の成績を残しています。
史上最悪の優勝戦と呼ばれた唐津のG1レース
冒頭でも書きましたが、宮地元輝の名が競艇界で一躍有名になったレースがあります。2018年4月8日、ボートレース唐津(唐津競艇場)で開催されたG1「全日本王者決定戦(開設65周年記念)」の優勝戦での出来事でした。
宮地元輝は6号艇に乗りスタート展示同様に前づけに動きます。1号艇の前本選手が宮地の動きを見てインを守るために抵抗し、両者共に待機行動違反が取られました。さらに2艇は80m付近まで流れ込んでしまいスタートのタイミングも狂いフライング失格となります。スタートの位置が深すぎてしまったのですね。宮地元輝は0.5の非常識なフライングとなります。G1の優勝戦でインの2艇がフライングするという事は非常に稀なケースで中々起こる事ではありません。
この強引な前づけとフライングによって、宮地元輝の名は競艇界で一躍有名となります。
この優勝戦の発売は3億9721万5200万円で返還が3億5474万5400万円と返還率が89.30%、ボートレース唐津としてもかなり大きな損失が出てしまったレースとなります。
G1優勝未経験の宮地元輝が地元のボートレース唐津で優出となったので、かなり強引にせめてしまったのかもしれませんね。
ちなみに、このレースで1位となった岡崎恭裕選手は、前日もフライングのおかげで優勝戦まで勝ち残ることができ、オーシャンカップの出場権も確実にしたため、かなりラッキーな結果となりました。
まとめ
宮地元輝はSGの出場やG1での優勝こそないものの、100期の中でも上位の成績を残しており今後に期待が持てるボートレーサーです。2018年ボートレース唐津での事件もありましたが、同期で登録番号4444と並びの数字の桐生順平選手が活躍しているのでその刺激もあったのかもしれません。今後はSGなどにも顔をちょこちょこ出してくるような選手になっていくのではないでしょうか。