競艇界史上最強とも評される銀河系軍団の一角、王者の名をほしいままにする井口 佳典は、2018年ボートレースクラシックで6年ぶり、通算6度目のSG優勝を飾り大きく歴史に名を刻むことになりました。
そんな彼は一体どのような人物なのか?今までの功績なども含めて、魅力に迫っていきましょう。
銀河系軍団の王者、井口 佳典って?生年月日や出身地など
井口 佳典は1977年8月22日生まれで三重県出身の競艇選手で、167センチ、51キロのA型、現在は40歳です。1999年10月に第85期生として登録、登録番号は4024です。
師匠は森岡正博、奥さんは、元競艇の井口真弓です。
競艇ではなく競輪を目指していた?
三重県立松阪工業高等学校在学中に、競輪を目指していたが、練習中に骨折をした事を理由として競輪の道を断念し、競艇へと進路変更をします。
高校卒業後、会社員時代を経て、ボートレーサー養成所の本栖研修所(現在はやまと競艇学校)に入所します。
ちなみに、師匠の森岡正博は高校の先輩でした。
デビューは1999年
研修時代の下栖リーグの勝率は7.15と非常に優秀で、85期生の中では2位の成績を残し卒業記念の優勝戦でも2着と好成績を収めた事から、1999年、津競艇場で堂々のデビューを果たした井口 佳典は、順調に成績を伸ばしていき、デビュー5期目でA1級になる程でした。
2002年に一般グレード初優勝!若松競艇場にて
井口佳典はデビューから3年の2002年の2月17日に、TYSテレビ山口杯争奪戦競走にて決まり手『まくり差し』で初優勝を果たします。
2005年にSG初出場!若松競艇場にて
2005年8月30日から開催された、SG第51回モーターボート記念にてスペシャルグレード初出走を飾ります。井口佳典は優勝戦には臨めなかったものの、好成績を残しました。
2006年にG1初優勝!住之江競艇場にて
順調に成績を上げていった井口佳典は2006年3月30日に、G1太閤賞競走 開設49周年記念にてG1の初優勝を飾ります。この時の決まり手は『差し』でした。
2007年に大ハプニングを起こす!福岡競艇場にて
2007年12月19日、福岡競艇場において開催されたSG第22回賞金王決定戦に出場しました。
初出場ながら決定戦に進出したものの、スタート直後に同期の湯川浩司と絡み合う形でエンスト失格(選責外)となってしまいます。
2008年にSG初優勝を飾る!平和島競艇上にて
来たる2008年の6月1日から開催された、第35回笹川賞にてスペシャルグレード初優勝を飾ります。この時の決まり手は5コースからコンマ07のトップスタートを決めての『まくり差し』でした。
1年前の雪辱を晴らす!2008年賞金王決定戦
2008年12月18日、住之江競艇において開催された第23回賞金王決定戦に再び出場をしました。昨年、ぶっとびエンストで失格してしまった無念を晴らすべく、気合十分で臨んだ結果、揃ったスタートから危なげなく1マークを旋回して一気に逃げ切って決定戦初制覇、見事1年前の雪辱を果たしました。
超速攻派、井口のレーススタイル
G1優勝13回、SG優勝6回という脅威的な強さを誇る井口 佳典のレーススタイルはどの様なものなのでしょうか?
ブチ込み王子と呼ばれた所以
デビュー直後から、とにかくフライングを恐れずにスタートでは強気で立ち向かうことからブチ込み王子といつしか呼ばれるようになりました。
勢いそのままに進入し、早い段階から思いっきり握るターンスタイル、そして何より井口 佳典の『持続する高い緊張感』こそが彼のレーススタイルと言えるでしょう。
「スタートはぶち込みます」
2007年ごろから、井口は大一番のレース前に『スタートはぶち込みます』と宣言するようになります。
言葉に違わず、有言実行をし、コンマ03という素晴らしいスタートを決めていくことからファンから絶大なる信頼を置かれるようになりました。
迎えたスランプと訪れる転機
2008年の賞金王決定戦て優勝をしてからというもの、スランプとも言うべき低迷期を過ごす事になる井口佳典ですが、それを抜ける事になる転機が訪れます。
2012年4月に選手持ちペラ制度が廃止に
成績不振に悩んだ2009年以降の井口佳典でしたが、2012年に持ちペラ制度が廃止となった事が大きなきっかけになります。
自分のレーススタイルに合わせて作ってきたプロペラが使えなくなってしまうことで、井口は『一からやり直さなければならない』と感じ、いわば出直しを強いられることになったのである。
すべての競艇選手が直面した危機とも言えた状況でしたが、伸び悩んでいた井口にとっては全てを捨てて、新しい自分を作り直す、そんなよいきっかけとなりました。
そして、誰よりも早く、2011年時点から、新しい既定の範囲での調整に目を向けて、2012年4月を迎えることとなります。
起死回生のSG笹川賞
新制度で行われる初めてのSGとなった2012年5月27日の笹川賞で井口佳典は華々しい優勝を飾る事になります。
予選では一度たりとも舟券圏内から外れないというすさまじい成績を残し、得点率トップで準優に進出をします。
優勝戦では1号艇で出走となりますが、侵入で操縦席に大量の水が入り込むというハプニングに遭遇したものの、不利を抑え好スタートを決め、再び頂点へと返り咲きました。
第17回オーシャンカップでSGV5の達成
2012年07月17日から開催となった第17回オーシャンカップでは、予選を2位通過し順調に優勝戦まで駒を進め、優勝戦では1番人気に応えそのまま優勝を飾ります。
ちなみにこの時、FNS27時間テレビを見ていた為に寝不足地獄に陥っていたと優勝インタビューで語っていました。
King of Galaxy(銀河の王者)
2012年12月24日にはSG第27回賞金王決定戦に出場し、結果は3着に終わったものの、この時に名付けられたキャッチフレーズはKing of Galaxy
と決まり、その名を更に轟かせることになりました。
勝率8.21で自身初の1位に
2012年は井口 佳典にとっては大きな飛躍の一年となりました。その結果が、2013年前期に適用される選手級別(審査期間:2012年5月1日〜10月31日)において、勝率8.21で1位を獲得しました。
立ちはだかる宿命のライバル田村隆信の存在
本栖養成所の85期生は銀河軍団と言われる程に、非常に優秀な達が多いわけですが、同期の一人である田村隆信は常に井口の一歩前を行く存在でした。
彼の存在があったからこそ、今の井口があると言えるほどの熾烈なライバル関係、一進一退の攻防は今なお繰り広げられています。
本栖研修所時代の関係
本栖研修所時代の下栖リーグの勝率は7.15と非常に優秀で、85期生の中では2位の成績を残していた井口佳典は、卒業記念の優勝戦でも2着だったわけですが、実は不動の1位として君臨していたのが田村隆信です。
卒業記念優勝戦では1号艇田村、6号艇井口として出場をします。
卒業記念レースでは、6コースを取り合うという通例があり、井口は絶対に6コースを取ると宣言していたものの、あっさりと田村に6コースを奪われた上、レースの結果でも田村に1着を譲る、まさに完敗だった苦い思い出があります。
田村は一人で努力を積み重ねて好成績を残し、井口は85期生のまとめ役として彼を追いかけ、また、他の訓練生を牽引していく存在だったと言います。
常に井口の前を走り続ける
デビューから4年でやっとG1初出走を果たした井口とは対象的に、田村は、デビュー1年数カ月でG1に出場を果たした上、G1初優出も同時に成し遂げてしまいます。
デビュー丸2年でSGに初出場をし、3年目でSG初優出というのはすさまじい出来事で、田村がSGに出始めたこの頃に、井口はA級には上がっていたものの、A1級に完全に定着しているとは言えませんでした。
田村が賞金王決定戦に出場した2004年には、井口はまだSGを経験すらしておらず、差は広がる一方となっていきました。
2005年の低迷を機にその背を捉える
85期生の中でも間違いなくトップランナーとしてひた走った田村隆信も2004年の爆発的な活躍の勢いが2005年にやや衰えたと共に、同期が飛躍的に成績を伸ばしていきます。
井口佳典は2008年の賞金王決定戦でSG優勝を果たし、小さく見えた彼の背をようやく射程圏内に捉えることが出来ました。
85期銀河系選抜戦で激突
2016年5月14日、大村競艇場で行われた熊本地震被災地支援競走 G1 海の王者決定戦の企画レース『85期銀河系選抜』で井口佳典、森高一真、湯川浩司、山本隆幸、丸岡正典、そして田村隆信の85期の6選手が出走して争われました。
1号艇井口、4号艇田村で始まったレースはイン1コースからの戦いとなり、1号艇の井口は.11のトップタイミングでスタートすると、1周1マークを先に回ってバックで単独先頭に立ち、そのままトップを独走し1着でゴールし見事勝利を収めます。
こうして、田村を下した井口は銀河系最強の座につく事になりました。
6度目のSG優勝を果たす
2018年3月16日から浜名湖競艇場にて開催となった第53回ボートレースクラシックでは予選からオール二連帯と素晴らしい走りを見せ、優勝戦では1コースに白井 英治、3コースに岡崎 恭裕という強敵を相手に、2コースから出走となった井口 佳典は豪快なまくりを魅せて見事に優勝を飾りました。
まとめ
2018年、今年の賞金王決定戦に名を連ねるであろう井口佳典は競艇研修時代から常に一歩前を行く田村隆信という最大のライバルを目標とし、挑み続け、今の地位を築き上げました。
2012年にボートレーサー達を震撼させた持ちペラ制度廃止をいち早く研究した上で自分のものとし、一気に出し抜いたことは、他の選手の追随を許さない程の凄まじい勢いでした。
そして2018年のボートレースクラシックでSGV6を飾り、今後更に競艇界を沸かせてくれること、間違いなしですね。
キングオブスペースと呼ばれる日が来るのも、そう遅くはないかもしれません。