全国でもNO.1クラスのターンスピードを駆使し、全速ツケマイで競艇ファンを魅了する毒島誠はスーパーピット離れによるインコース奪取が持ち味のボートレーサーです。
既にSG4勝を挙げ、今後更に活躍が期待される彼はどのような人物なのでしょうか?
競艇選手の毒島誠とは一体どんな人物なのか?生年月日や出身、きっかけや目標は?
毒島誠(ぶすじままこと)は1984年1月17日生まれで群馬県桐生市出身、群馬支部所属の競艇選手です。
163センチ、52キロで血液型はB型、2018年現在は34歳で、第92期として登録、登録番号は4238です。
奥さんは元競艇選手の池田幸美さんで、師匠は江口晃生です。
競艇選手になったきっかけは?
市選抜に選ばれ優秀賞を獲得するなど、若いときはサッカーをしており、運動神経は優れていたみたいです。
そんな折、桐生競艇場に見に行った時に、自分もボートに乗ってレースをして勝ちたいと思ったこと、そして小さい身体が有利のスポーツだからとの事です。
競艇選手としての目標
常に一流、一級で勝ち続けられる選手、賞金王になること。
既に半分はこの夢を達成していると思って良いですよね。
ちなみに2019年は賞金ランキング2位でした。惜しかったですね。
趣味や特技、好きな食べ物など
趣味は釣り、旅行、ツーリング、山登りで、好きな食べ物はお魚だそうです。
休日の過ごし方はジムに行ったり、ペラゲージを作ったり、家族との団らん、ショッピングや釣りなど。
特技は特にないそうです。
奥さんが元競艇選手
冒頭でも触れていますが、毒島誠は元ボートレーサーの池田幸美さんと結婚しています。
具体的にいつ頃か…というのは定かではないですが、池田美幸さんが引退したのが2009年なので、この前後ではないか?と言われています。
優勝経験はありませんが、1998年にデビューし、引退した2009年までの間で、通算勝利回数が150勝と活躍した競艇選手でした。
公式twitter
体幹トレーニングにスラックライン良いですね(^ー^)最近レースで良く振り込むので(汗)これは息子に略奪された所ですが(笑) http://t.co/MfKocJVYSm
— 毒島 誠 (@busukun4238) 2014年3月27日
2010年に登録してつぶやきを披露していましたが、2014年11月を最後に更新は止まってしまっています。
キャッチフレーズはポイズンキラー
2013年の賞金王決定戦ではポイズンキラーのキャッチフレーズを貰い出場を果たしています。
由来は恐らく毒島という苗字から来ているとは思いますが、自分自身をキラーしてしまうという少し変わったものですよね。
NGT(ニュージェネレーション軍団)と言われている
90期以降のやまと世代で且つ、G2以上のタイトル保持者達の総称をニュージェネレーション軍団と呼んでおり、毒島誠もこのメンバーの一員となっています。
銀河系軍団に対抗する一大勢力として、今なおその活躍が続いており、その名の通り新たなる競艇界を作る次世代グループと言えますね。
ちなみに第三勢力として、2015年には西山貴浩率いるくせ者軍団というのも結成されていて、所属メンバーに山口、池永がいます。
かくいう西山も97期で、2018年4月15日にはG2モーターボート大賞〜昭和VS平成〜で優勝をしている事から、彼もまたニュージェネレーション軍団と言われるようになってしまうのではないか?と思いますね。
MotoMap SUPPLYの総監督に就任
ご近所付き合いがあり、仲が良く、トレーニング仲間としても知られる青木宣篤(バイクのロードレーサー)から「ブスちゃん総監督やらない?」の声かけで端を発し、2018年7月にMotoMap SUPPLYの総監督に就任しました。
毒島誠は『ボートレースとロードレースというふたつのモータースポーツの架け橋になれれば』と語っており、桐生競艇と鈴鹿8耐レースウィークでコラボレーションうちわを配布するなど新たな角度からモータースポーツの魅力をアピールしました。
毒島誠のレーススタイルって?
スーパーピット離れによるインコース奪取からの豪快でハイスピードな全速ターンが非常に魅力的で、決まり手の中でも最もハイレベルとも言われる『ツケマイ』をすることで名高いです。
コースを問わず1着を狙っていける実力があり、平均スタートタイミングは0.15~0.18とそんなに早い方ではありませんが、1周1マークを抜けた後の道中で順位を上げることができる腕前を持っています。
その為、連対率が非常に高くかなりの確率で3着以内に入ってきます。
毒島誠の競艇選手としての成績
現在競艇界のエースポジションとして活躍している毒島誠は、やまと競艇学校時代にはリーグ戦勝率5.83(準優出2 優出1 優勝1)の成績を残しプロデビューとなりました。
デビュー戦で3着を勝ち取る
2003年5月9日に桐生競艇場でプロデビューとなりました。
初日2R目で、6号艇出場をし、3着という結果をおさめています。
初勝利は25走目
2003年7月20日から多摩川競艇場で開催された一般競走の初日1Rで初勝利を飾ります。6号艇からで決まり手はまくりでした。
1勝をあげるまでにかなりの時間を要する選手も多い中、既にこの時には現在の実力に到達する片鱗を見せていたのかな?という感じがしますよね。
また、同節最終日の7月24日1Rにも、1着をおさめ、2勝目をあげています。
初優出は2005年
早々に勝利を決めた毒島誠でしたが、やはり優勝戦に至るまでには2年程かかりました。
2005年2月2日から多摩川競艇場で開催された第10回ダブル優勝TVKカップにて初めての優勝戦出場を果たします。
1号艇出場で3着という結果でした。
初優勝は2006年
2006年9月22日から鳴門競艇場で開催された第18回鳴門市長杯競走にて初優勝を遂げます。
4号艇出場で、決まり手は華麗なまくり差しでした。
A1級で大活躍する2007年
2006年に初優勝を決め、その勢いを強めてのA1級へ踊りでた毒島誠は、2007年は更なる活躍を魅せつけてくれます。
2007年1月13日から多摩川競艇場で開催された優木まおみ杯では優勝含む6勝を上げると、1月23日から大村競艇場で開催されたG1 共同通信社杯 第21回 新鋭王座決定戦にて初めてのG1レースに出場、更に最終日の1月28日には、3R、10Rで勝利を収め、G1初出場と共に初勝利を挙げるという快挙を成し遂げました。
2007年は6度の優出、3度の優勝で、1着は全部で93回、1着率は31.7%でした。
2008年はG1初優出
着々と成績を積み上げて行く毒島誠は、2008年1月22日から丸亀競艇場で開催となったG1共同通信社杯第22回新鋭王座決定戦競走にて初優出を果たします。
3号艇出場で4着でした。
2008年も順調に、9度の優出、3度の優勝で1着数は56回でした。
2010年にG1初優勝など
2010年1月19日から桐生競艇場で開催されたG1共同通信社杯 第24回新鋭王座決定戦にて記念優出3回目でついにG1初優勝をその手にします。
年の初めのレースでの強さは尋常ではないですね。
既に新エースとしての期待が高まっていた毒島誠を競艇ファンが黙っているはずもなく、当然の流れとも言えるこの年の笹川賞で初めてのSG出場を果たします。
初出場初勝利とはなりませんでしたが、2着を取るなどその存在感をしっかりと見せつけた結果となりました。
そして、迎えた2010年7月14日から丸亀競艇場で開催されたSG第15回オーシャンカップ競走にて念願のSG初勝利を手にします。
しかも、この節で4度も1着を取り、その強さが本物であると確信された瞬間でもありました。
2010年は8度の優出、4度の優勝、1着数は64回でした。
過去4度、SG優勝をしている
毒島誠の強さの一つに、Fで泣いたり挫折したりということが見当たらず、常に順風満帆で進んでいるということなんですよね。
A1級レーサーとなってから、常に1線級の活躍をしているのが素晴らしい。
今後更に量産していくであろうSG優勝は2018年現在4度経験しています。
2013年にSG初優勝
G1とSGには当たり前のように出場するようになってきた毒島が欲しかったSGの優勝を手にする事になったのが2013年のことです。
2013年7月23日から若松競艇場で開催されたSG第18回オーシャンカップにて初優出を記録し、堂々の3着の結果をおさめると、続く8月27日から丸亀競艇場で開催されたSG第59回モーターボート記念競走にてついにSG初優勝を達成します。
1号艇1コース、決まり手は華麗な逃げでした。
2度目のSG優勝は2017年
2017年11月21日から下関競艇場で開催された第20回チャレンジカップにてSG2度目の優勝を果たします。
この時も1号艇1コースからの完璧な逃げでの勝利でした。
3度目のSG優勝は2018年7月
2018年7月11日から若松競艇場で開催された第23回オーシャンカップにて3度目のSG優勝を飾ります。
2号艇出場で決まり手はまくり、綺麗な優勝でした。
勢いそのままで、続く7月20日から平和島競艇場で開催されたG1開設64周年記念トーキョー・ベイ・カップでも優勝をし、更にその勢いを乗せ、更なるSG優勝へとつなぎます。
4度目のSG優勝は2018年8月
2018年8月21日から丸亀競艇場で開催された第64回ボートレースメモリアルで4度目のSGを記録します。
1号艇1コースからの安定感抜群の逃げでの素晴らしい優勝劇でした。
まとめ
2018年10月現在の毒島誠の賞金額は122,997,500円で堂々の1位です。
2位の白井英治が87,675,000円なので、その差は3500万とほぼ当確と言える状態になっています。
彼自身の夢である、賞金王ランキング1位まであと一歩というところですね。※実際は惜しくも2位でした。
年末の賞金王グランプリで優勝を決めて完全なトップレーサーとなることを期待したいです。