野添貴裕は45歳の今でもバリバリの現役競艇レーサーで大阪支部に所属しています。競艇選手としての登録番号は「3555」です。ボートレーサーの養成所であるやまと競艇学校では69期として卒業しています。この期は活躍した競艇レーサーが多いことから「華の69期」と呼ばれ、同期には田中信一郎、太田和美、三嶌誠司、仲口博崇、山本浩次など数多くのSGやG1を制覇したボートレーサーがいます。そんな野添貴裕の詳細に迫っていきたいと思います。
大阪のベテランレーサー!野添貴裕って?生年月日や出身地、プロフィールは?
野添貴裕は1972年10月18日生まれで大阪府出身の競艇レーサーです。身長は168センチで体重は55キロと、減量が大変そうな体格の持ち主でもあります。2018年現在はA1級のレーサーとなっています。
また、趣味はドライブという事なので競艇ボートや車といった乗り物に乗るのが好きな方なのかもしれませんね。好きな食べ物はラーメン・焼き肉・うどんという事でアスリートっぽい感じですが、減量が厳しくなりそうな食べ物ばかりですね。
インタビューで休日の過ごし方を聞かれ、「家族と過ごす」と答えていたので、ご結婚はされているようですね。子供がいるかどうかまでは分かりませんでした。
ボートレーサーになろうとしたきっかけ
野添貴裕は学生時代はプロ野球選手を目指していたようです。ただ、自身の身長が小柄だった事と、先輩でボートレーサーになった人がいた為に、競艇選手という道を選んだようですね。ちなみに、少年野球で小学生時代に大阪大会の優勝を2回経験し、中学生時代に大阪大会で2回近畿大会で1回優勝をしているという凄い経歴を持っています。野球激戦区の大阪でこの成績は本当に凄いですね。プロを目指そうとした気持ちも分かります。プロを目指していたらひょっとしたら大阪桐蔭高校などに進んで甲子園で活躍していたかもしれないですね。
ボートレーサーとしての目標は、ケガ無く上を目指すという事のようです。スポーツ選手やアスリートは怪我をすれば何もできなくなってしまいますからね。当たり前の事ですが、非常に重要な部分を目標に掲げていますね。
研修所時代の勝率
競艇養成所である山梨県本栖湖の訓練所「本栖養成所」は、2001年より現在の福岡県柳川市に移転して「やまと競艇学校」という名称に変更されています。
69期であった野添貴裕は「本栖養成所」で競艇レーサーになる訓練を受けていました。この「本栖養成所」ではリーグ戦があり、そこでの勝率が7.07と69期リーグでトップの成績を叩き出しました。華の69期で強豪レーサーがひしめくなかで勝率1位はかなりの快挙ですね。相当招来を有望視された競艇レーサーだったのではないでしょうか。
野添貴裕の戦歴
45歳の今でも現役のボートレーサーである野添貴裕の過去の戦歴などを振り返ってみましょう。本栖養成所のリーグ戦で華の69期の中でトップの勝率を叩き出した期待のルーキーはその後どんな活躍をしたのでしょうか?
1991年に地元の住之江競技場でデビュー
野添貴裕は1991年11月7日に地元である大阪のボートレース住之江(住之江競技場)でデビューを果たしています。当時の記録を色々と探したのですが、古すぎるせいか見つけることができませんでした。ですので、初勝利やG1初出場などの記録も同時に見つけることができませんでした。
1999年にG1初優勝!丸亀競艇場にて
野添貴裕は1999年3月2日にボートレース丸亀(丸亀競艇場)にて開催されたG1「モーターボート大賞」で1号艇ながら5コースに入り、スタートタイミング0.05でまくり1位を獲得、見事G1初優勝を飾りました。1号艇なのに5コースに入ったという事は、当時26歳と若輩レーサーだった野添貴裕は、ベテラン選手たちにインを取られてしまったのかもしれないですね。それでも優勝するのは凄いです。予選の成績も、1着、1着、3着、5着、5着、1着とかなり調子が良かったようです。
2度目のG1優勝はなんと19年越し!2018年びわこ競艇場にて
A1級レーサーとして活躍している野添貴裕ですが、G1の二度目の優勝はなんと1999年の初優勝から19年後の2018年です。2月19日にボートレースびわこ(びわこ競艇場)で開催されたG1「第61回近畿地区選手権」で、45歳にして二度目の優勝を飾ります。優勝戦では2号艇で2コースからのスタート、他の選手は20代や30代の若手のレーサーばかりで野添貴裕は最高齢となります。野添は第1ターンマークでギリギリのコーナーを攻め、そのまま第2ターンマークで先頭にたち、そのままゴールとあっさり1位となります。野添は優勝戦前の予選でもかなり好調で、1着、1着、2着、3着、3着、6着、1着と好成績を残しています。かなり良いエンジンを引いて、ペラ調整も上手くいったようですね。
野添貴裕は優勝インタビューでG1の優勝が19年ぶりという事に触れられると、「もう忘れました」という関西人らしいノリで対応、また「大阪支部で同期の田中信一郎や太田和美の影響で頑張ってこられた」という男気のある発言も飛び出しました。若手を蹴散らしての優勝は全国の中年層に夢と希望を与えてくれますよね。
SG優勝経験は無し!今後に期待
野添貴裕は現在のところSG優勝経験はありません。SG初出場は1999年7月15日から7月20日の期間にボートレース若松(若松競艇場)にて開催されたSG「第4回オーシャンカップ競争」の事です。当時26歳だった野添貴裕はこのSGでは最高成績が2着と、初勝利とはなりませんでした。
SGの初勝利は同年の11月25日、ボートレース平和島(平和島競艇場)にて開催されたSG「第2回競艇王チャレンジカップ競走」の3日目1Rの予選で、2号艇3コースからまくりにてゴールを切り初勝利をおさめることができました。ただ、このレース以外の着順がふるわず初優出とはなりませんでした。
野添貴裕のSG出場履歴は、1999年で3回、2000年で1回、2018年で1回と思ったより少ないですね。もっとコンスタントに出場しているイメージがありましたが、意外とSGに縁が薄いボートレーサーとも言えます。
まとめ
野添貴裕は45歳となった今でも現役のボートレーサーで活躍しています。元々地力があり、一般戦やG3などのレースでは1着率や3連体率も非常に高く安定した成績を残しています。ただ、G2以上のレースになるとあまり結果を残せていないイメージです。
2018年の今年は人生2度目のG1優勝を19年ぶりにするなど、再ブレイクに期待が持てる競艇選手です。3月16日からボートレース浜名湖(浜名湖競艇上)にて開催されたSG「第53回ボートレースクラシック」にも出場し、優出こそなりませんでしたが3日目に4号艇4コースからマクリでゴールし勝利を飾っています。45歳になっても衰え知らずの野崎孝弘は、今後もベテランの味を発揮して、競艇界の台風の目になっていくのではないでしょうか。要注目の競艇レーサーの一人ですね。