競艇選手の平均引退年齢は45歳と言われていますが、阿波 勝哉といえば、ボートレーサーでも1、2を争うほどの人気の高い選手で、現ボートレースにおいて彼無しでは語ることは出来ないと言われている程です。そんな阿波 勝哉の経歴や魅力、そのすごさを徹底的に検証してみました。
45歳で現役!阿波 勝哉の生年月日や出身地など
阿波 勝哉は1973年4月18日生まれの45歳AB型で、出身は東京都練馬区で登録期は79、登録番号は3857で、級別は現在B1となっています。
独特な大外からの攻めに定評があり、これが大きな人気の下になっており、愛称はアワカツです。
きっかけは中学時代の友人の言葉
阿波 勝哉が競艇を始めるきっかけとなったのは、中学時代にとある友人に『一緒にボートレーサーにならないか?』と勧められたことで、元々なりたいという気持ちは特になく、深く考えずにその時は話半分で聞いていたという逸話があります。
21歳ごろまではいわゆるフリーターとして生活をしていたものの、ふと将来のことを真剣に考えた時に、友人の言葉を思い出し、ここから本気で競艇選手になることを考えるようになりました。
この瞬間まで競艇に興味すらなく、養成学校にはいってから競技内容やルールを覚える事になり、3回目の受験で見事合格を果たし華々しくデビューを飾ることになります。
ちなみに残念ながら、友人は競艇選手になる為の条件である、身長と体重の制限(175cm、57.0kg以下)にひっかかってしまい、その夢をあきらめることになってしまったとか。
デビューは1996年
阿波 勝哉は1996年に多摩川競艇場でデビューを果たします。アウト屋として名高い彼ですが、デビュー間もない頃はインコースからの勝負をすることもありました。
2002年に初優勝!蒲郡競艇場にて
中々芳しい成績を残せずにいた阿波 勝哉ですが、むかえた2002年の9月30日、グレード一般の『第10回蒲郡スピード王座決定戦』にて2号艇、6コースで出場し、決まり手は差しで見事初優勝を飾ります。
SG初出場は2005年
2005年前期A1級の阿波 勝哉は、常滑競艇場で行われた笹川賞競走でSGの初出場を果たします。
実はSGの選出基準には様々あり、他のSGは満たせなかったのですが、華麗なアウト屋のスタイルがファン達に受け、阿波 勝哉の伸びを是非見たいと投票が集まった結果、人気投票で出場選手が決まるオールスター戦のSGである笹川賞に参加する事になりました。
この時、初日SG初1着を果たし、勝利者インタビューを受けています。
また、その人気は衰えることを知らず、翌2006年にはB1級になってしまった事で、選出権利がなかったのにもかかわらず、彼の名前が投票用紙にない事への苦情などが相次いだ程だとか。
今も尚、人気は健在で、出場資格である前期A1級でありさえすれば、ほぼ確実に笹川賞に出場するほどです。
アウト屋の代名詞!阿波のレーススタイル
阿波 勝哉は、2003年からたとえ1号艇でも大外6コースから走るほどアウトコース一貫のレーススタイルに身を投じる事になります。
インコースが絶対有利と言われている競艇界では異色とも言えるレーススタイルで、これがもとで大きな人気を集めることになりました。
豪快なスタートを決めてからそのまま捲るが彼の代名詞ですが、やはり毎回スタートを決めるというのは非常に難しく、過去に何度もフライングに泣かされたことも。
ちなみにアウト屋になったきっかけはデビューして最初は何号艇であっても6コーススタートという暗黙のルールがあり、先輩レーサーたちに6コース専門でやっている選手がいた事から、自分でもやれるのではないか?と挑戦したのが始まりと言われています。
アウト屋のためフライングの本数が多い
アウト屋であるが故、スタートが命である事から、1期間中にフライングを3回する、通称F3を過去に3度(1999年、2003年、2012年)経験しています。
1999年に初めて経験したF3では3月から9月までの半年間フライング休みで出場停止となり、その間は無収入生活を余儀なくされました。
その際、仙台や新潟などで、建築関係のアルバイトをして回ったとか。
6コースへのこだわり
アウト屋の真髄と言えば、やはり6コースでの出艇ですが、彼が6コースにこだわりを持つのには理由があります。
阿波 勝哉はこう話す。
『6コース以外だとスタートがわからない上、落ち着かない、スタートを決める自信がないってことです。普通の選手はいろいろなコースを走るので、そんなに違いはないのかもしれませんが、自分や澤(大介)さん、小川さんだと6コースの見え方が染み付いているので、コースが違うとよく分からないんですよ。』
つまり、とにかく6コースが好きだというだけではなく、もはや体に染みついてしまっている、ということになります。
もっとも不利な6コースですが、彼にとっては6コースこそが最も有利な位置であると言っても過言ではないでしょう。
阿波の得意戦法は「まくり」
大外から豪快なスタートを決めて、そのままのダッシュを活かして、超絶伸びを魅せつけ他の艇を沈める爆撃機さながらの戦法、それこそが最も得意な決まり手となるまくりです。
内の他艇とは次元の違う直線のスピードで5艇を出し抜く様はまさに圧巻の一言で、まくりの手法を生み出したパイオニアとも言われています。
その驚異的な伸びは自転車をバイクが追い抜いていくようなものとまで形容されるほどに凄まじいもので、チルトを跳ねての超絶な伸びこそが、阿波 勝哉の真髄とも言える部分です。
阿波独自のエンジン整備「阿波仕様」とは
強烈な伸びを実現する阿波 勝哉のエンジンは絶対的な伸び重視で独自の整備を行っています。なにより注目するべき部分はチルトの角度です。
数値が低いほど周り足や出足重視で、高いほど伸び型とされており、一般的にはマイナス0.5度が最もバランスが取れていると言われ、大半の選手が0.5度でレースに挑むのですが、彼の場合は必ず可能な限りチルトを跳ねてレースに挑みます。
チルト角度は最大の3度
大半の競艇選手がマイナス0.5度でレースに臨むのにもかかわらず、阿波 勝哉は現在の規定で最も高い角度であるチルト3度でレースに臨みます。
チルトを跳ねれば跳ねるほどにターンは不安定になってしまうので、激烈な伸びを手に入れる為の代償はすさまじく、使いこなすのは非常に難しいと言われています。
とあるレーサーにいわく「チルト3でターンなんて出来たもんじゃない」と言わしめるほどだとか。
レース場にチルト3度の導入を広めた阿波
2003年からアウト屋一筋となった阿波 勝哉ですが、実は2006年ころまでは、全国の競艇場24場中、チルト3度が使える場はたったの5場しかありませんでした。
しかし、2007年夏から次々とチルト3度が導入されていくことになり、現在では全体の半分以上の15場で使えるようになっていきます。
これは2005年の笹川賞出場などで人気を博し、阿波の超絶伸びの魅力をレース場側に認めさせたという、紛れもない阿波効果と言えますね。
こうしてチルト3度使用可能場が増えたことによって、阿波のレーススタイルに追随する選手も出るようになりました。
過去に阿波仕様をマネしたレーサーがターンできずに転覆
阿波 勝哉の信じられない程の超絶伸びは見るものすべてを魅了するほどであったことから、彼の人気と共にそのレーススタイルを他の競艇選手が真似をするという事態を巻き起こします。
真似をした選手も同様に大外6コースからチルト3度の阿波仕様、結果は見るも無残にターンが出来ずに転覆してしまうという結果に終わってしまいました。
阿波の人気に便乗?!販売された食べ物
全国の競艇ファンを巻き込み、いくつもの競艇場にチルト3度導入をさせた程の人気を博した阿波 勝哉にあやかって平和島競艇場ではとあるフードが提供されるようになりました。
チルト角度の設定がカツサンドに?!(チルトサンド)
平和島競艇場の実況松永良一アナが名付けた『ミスターチルト3度』というニックネームと同じ名前のカツサンドが2007年3月3日から販売されています。
アワカツ+チルト3度をもじった『チルトサンド』は非常に人気が高く、売れ行きは上々だとか。
また、売り場にはチルトサンドを食する阿波の写真パネルが飾られています。
丼ぶりまで発売(チルト3丼)
チルトサンドが大きく人気となり、2008年12月27日からは平和島の新名物として『チルト3丼(サンドン)』が販売されるようになりました。
通常価格は600円ですが、阿波 勝哉が平和島競艇場のレースに出場している期間中は100円引きされて500円となるおまけ付きです。
もっとも困難な6コースで9連勝を達成
2007年に阿波 勝哉は丸亀競艇場でこれでもかというほどのアウト屋魂で破竹の9連勝を達成します。
百聞は一見に如かず、以下の動画をご覧ください。
これにより、BPまるがめ開設21周年記念 ペプシコーラカップの優勝を果たしています。
現在は全盛期のような走りがみられず
2003年からアウト屋一本で成り上がり、そのころの勝率は20%から35%というとてつもない数値(通常6コースからの1着率は3%程度)を叩き出していた阿波 勝哉でしたが、2012年から急激に成績が落ちてしまいました。
持ちペラ制度廃止が大きな影響
2012年4月に競艇界、特にアウト屋にとっては激震が走る事態ともなったプロペラの規定変更(持ちペラ制度廃止)となり、競走場のモーターに備え付けられたペラを使用しなければならなくなってしまいました。
競艇と言えば、以前はモーターは競走場の用意されたものでしたが、プロペラはレーサーが自前で作成したものを使っており、いわば職人芸とも言われた、プロペラ作成技術と資金力ももレーサーの実力の一つと言われた程でした。
これは極端に伸びを追求していた自前のプロペラを使っていた阿波 勝哉にとっては大きな逆風となり、現在はB級に陥落するなど、低迷期を迎える理由となってしまいました。
成績不振でも人気の高い選手
時代の流れには逆らえず、オーナーペラ制度導入によって今は我慢の時となっている阿波 勝哉ですが、一時代を築き上げた功績は今も色褪せることはありません。
その証拠に、笹川賞(オールスター戦)では毎年必ず彼がA1級でありさえすれば必ず投票するというファンが全国各地にいるからです。
まとめ
阿波 勝哉は6コース1本で強烈なファンの支持を得た、まくりのパイオニアとして現在も活躍しています。
過去の超絶伸びで1着をかっさらった栄光は持ちペラ制度廃止によりあまり見られなくなりましたが、今でも変わらず既定の最大角度でチルトを設定し、1号艇であっても6コースを頑なに選択して戦っていくスタイルは今もファンを魅了し続けています。
生きるレジェンドの戦いはこれからも続く。