守田俊介選手はSGで優勝経験を持つ実力のある競艇選手です。
守田俊介選手は技術面でもデビュー当時から定評があり、素晴らしい選手でした。
そんな、守田俊介選手はレースだけでなく、レース優勝賞金全額を東日本大震災の為に寄付した事があります。
普通に考えたら、自分が努力した結果のモノを寄付するなんて到底考えられませんよね。
この記事では、守田俊介選手がどんな人物なのか、どんな成績を残してきたのか、守田俊介選手の魅力を紹介していきます。
守田俊介はどんな選手?
守田 俊介(もりた しゅんすけ)選手は、滋賀支部に所属するA1級の競艇選手です。
第74期生で、同期に立間充宏選手、辻栄蔵選手、西村めぐみ選手らがいます。
旧姓は中川で、デビュー時は中川という姓で出場していました。
しかし、のちに両親が離婚してしまい、母型の姓でもある「守田」を名乗っています。
そんな、守田俊介選手は仲間内からは「きもりやん」と呼ばれているそうです。
趣味であるパソコンを使ってコラージュ画像を作るのに没頭している姿を見た同じ支部の北中元樹が、「きもい守田」という意味を込めて「きもりた」と呼び始めました。
次第に、「きもりた」から「きもりやん」に変わり、定着していったそうです。
守田俊介選手は、74期生の最年少選手として本栖研修所に入所しました。
1994年5月11日にびわこ競艇場でデビューし、同年9月11日に福岡競艇場で初勝利を飾りました。
さらに、1996年にはデビューからわずか2年10か月という早さでSG初出場を果たしました。
その翌年には約1,600人の競艇選手のうちの上位2割しか取得できないとされているA1級に昇格する事ができました。
これだけ早いスピードでA1級になれるのは、それだけ実力がある証拠とも言えます。
また、デビュー直後からスタート力とハンドルさばきには定評があり、天才肌の選手との評価がありました
その実力は現在も衰えておらず、SGレースには常時絡むような実力のある選手です。
進入は基本的に枠なりが多いようですが、5号艇や6号艇というような外寄りの艇番になった時でも、イン寄りのコースにひとつでも入るように動いてきます。
しかし、6号艇になってしまった時は強引な前づけはありません。
平均スタートタイミングは0.11〜0.14で比較的SGに出場するような選手の中でも早めのスタートタイミングに思えます。
スタートを武器している為、フライング等のスタート事故も多く起こしている印象があります。
そのフライングの多くは、優勝戦や準優勝戦という重要なレースが多く、重要な場面ではギリギリの勝負をして攻める姿勢が感じられます。
ハンドルさばきを含めてのボートの操縦技術の高さにはかなりの定評があり、SG競走常連のトップレーサーと言えるので、どのコースにいたとしても舟券に絡む事を想定したい選手と言えるでしょう。
守田俊介選手は回転寿司が大好き!
守田俊介選手は自身が運営するブログでも語る程、部類の回転寿司好きだそうです。
ブログの記事を見ていくと、度々回転寿司を訪れている様子をアップしています。
守田俊介選手が言う曰く、回転寿司=ローリングシースーであり、競艇の選手紹介でも名前で呼ばれずローリングシースーと紹介されてしまう。
と自虐的なネタをFacebookやTwitterの自己紹介に掲載しています。
寿司好きだというので、何のネタが好きなのか調べていくと、一番の好物が「ガリ」だそうです。
全日本選手権競走の選手紹介では、自らを「無色透明なガリ」と表現しています。
なぜ、「ガリ」なのか真意を見ていくと、先行順位52位での「繰り上がり」出場であった事から「無色透明なガリ=クリアガリ」とをかけたようでした。
また、2015年に尼崎競艇場で開催された、ボートレースクラシック(総理大臣杯)の優出メンバーのインタビューでは、競艇ファンから花束ではなくネギとガリが手渡されました。
その時の守田俊介選手のインタビューで、司会者が「きれいな花束ですね」という問いかけに、守田俊介選手は「はい、とてもいい匂いがします。重量感もなかなかですね」と面白いやりとりが有名ですね。
さらに、一緒にもらったガリの袋をかざして「え~ネギとガリをもらったんで、ガリの禁断症状がそろそろ出てきたんで、これ喰ってパワー全開でレースに向かいます」と会場のファンを爆釣の渦に誘っていました。
インタビューのやり取りからも守田俊介選手のユニークな正確が伺えますね。
守田俊介選手は整備が苦手だった
守田俊介選手と言えば、デビューから2年10ヶ月という異例の早さでSGに出場する天才肌の実力のある選手と知られています。
しかし、そのは反面、ボートのプロペラやモーターに関しての整備は苦手と自身でも語っています。
そのため、一般戦では圧倒的な強さを見せつける事があるものの、SG、G1、記念レースなどでは苦労する事が多くあります。
しかし、2015年に開催された全日本選手権競走で優勝した時のインタビューでは、整備が苦手という事を否定しました。
その時、守田俊介選手は「適当にやってバチっと合わせる『適当力』が凄いだけだ」と、笑いを誘うような回答をしていました。
守田俊介選手の元妻は競艇界で美人で有名だった!
守田俊介選手の元結婚相手は美人という噂があったので、どのような方が元妻だったのか調べていきました。
まず、元結婚相手のお名前は三上陽子さんという女性だそうです。
この三上陽子さんについて調べていくと、過去に「グラビアアイドル」や「レースクイーン」をしていたと書かれていました。
しかし、守田俊介選手が結婚した相手は「グラビアアイドルの」の三上陽子さんではありませんでした。
実際に結婚した人は全く違う人で、守田俊介選手が結婚した三上陽子さんは元競艇選手という事が分かりました。
守田俊介選手と三上陽子さんはは結婚したものの、その後離婚してしまったそうです。
離婚した三上陽子さんは、その後競艇選手でもある萩原秀人選手と結婚をし、現在2児の母になっているとの事です。
さらに、三上陽子さんは競艇界では「美人」という事で有名だったようで、以前ペアボートに乗せてもらった!などと自慢する人もいるほどです。
三上陽子さんは2003年に競艇選手としての出場記録が残っていますが、その時は27歳と紹介されていたので2019年現在は、43歳になっていると思われます。
東日本大震災への寄付金の額がすごい
競艇の守田俊介選手ですが、東日本大震災の寄附金額が高額でスゴイと言われています。
守田俊介選手は2015年にSGダービーを制覇し、優勝賞金3,500万円を受け取りました。
なんと、その全額の3,500万円全てを東日本大震災の被害者の為に寄付しました。
なぜ、守田俊介選手はこのような事ができたのでしょうか。
守田俊介選手が賞金を全て寄付しようと思った背景には、その4年前に自身が東日本大震災でつらい思いを経験したからなのです。
2011年3月11日に起きた東日本大震災の時、守田俊介選手はレースが休みで大津市の家にいました。
自宅にいて、被害はなかったもののテレビやニュース、ネットなどで配信される映像が衝撃すぎて自分の目で状況を確かめたいという思い出、3月下旬に一人で東北へ向かいました。
その時は「何か役にたちたい」という気持ちで福島県の会津若松へ向かったそうですが、自身の被害で街は壊滅的状況となっており、その状況を目の当たりにした守田俊介選手は同様とショックのあまり、その後の記憶は曖昧で、どこまで進んだかもあまり覚えていなかったようです。
地震の被災者が苦しんでいるのに、「役に立ちたい」と簡単な気持ちで来た自分を何をしているんだと、自責の念が心に残り、逃げ帰ったそうです。
家に戻った守田俊介選手は被災地の状況や、自分の自責の念を母に話し、「万が一奇跡が起こってSGを勝つようなことがあったら、東日本大震災に全額寄付しよう」と決意したのです。
そして、2015年のSGダービーに見事に優勝し、被災者のために全額寄付する事ができたのです。
いくら、自分がショックを受けるような場面を目の当たりにしたとしても、3,500万円という大金を全額寄付という事はなかなかできませんよね。
そんな事を悩まずにできてしまう事もあり、守田俊介選手の人柄の良さを感じます。
予想にも役立つ!守田俊介の得意なコース
まずは、予想にも使える、守田俊介選手の得意なコースを把握しようと思います。
守田俊介選手は、デビューから2年10か月にしてSG競走に出場したことなどから、天才肌の競艇選手として知られています。
その反面でプロペラやモーターの整備は不得意(2015年のインタビューでは「適当にやってバチっと合わせる“適当力”が凄いだけ」と語っている)とされており、G1競走では苦戦する傾向にありました。
守田俊介選手の進入は基本的に枠なり進入だが、アウトコースに入った場合は少しでもインコースに入っていく走りを見せるという特徴があります。
その一方で、6号艇に入った際にインを狙うような強引な前づけは行わないことで有名です。
守田俊介選手の平均スタートタイミングは0.13で、SGクラスの競艇選手の中ではかなり早いスタートタイミングとなっています。
しかしその反面、スタート事故が多く見られるので、フライングには注意です。
守田俊介選手のハンドル捌きを含めた操艇技術は以前より定評があり、SG競走の常連となっている競艇選手を相手取っても遜色はなく、どのコースに入っても舟券に絡んでくる実力を持っています。
競艇予想でも、一番気を付けたいのはフライングの事故でしょう。
しかし、その事故に恐れて、スタートが悪くなっては意味がありません。
SGクラスの選手は、周りは競合だらけなので、そのあたりの神経には敏感だと思います。
スタートが上手い選手だけで走る場合は少し注意が必要です。
守田俊介選手の過去優勝歴
やはり、競艇選手としてSGで勝つのが最大の目標でしょう。
SGの優勝歴は第62回 ボートレースダービー(2015年10月25日・浜名湖競艇場)で見事優勝をしています。
また、G1の優勝歴は3度優勝をしています。
下記にその3件をまとめましたので、紹介します。
第46回 近畿地区選手権競走(2003年2月20日・びわこ競艇場)
オールジャパン竹島特別 開設54周年記念競走(2009年5月17日・蒲郡競艇場)
開設61周年記念 びわこ大賞(2014年3月9日・びわこ競艇場)
ちなみに、G2の優勝歴は一度だけあります。
第50回 秩父宮妃記念杯(2006年8月25日・びわこ競艇場)で優勝です。
やはり結果が全ての勝負の世界で勝つのは、非常に凄いですね。
まとめ
今回は、競艇選手の守田俊介を調査してみました。
やはり、SGで勝てる選手とは、才能とセンスに特徴がありますね。
2015年にはなってしまいますが、SGレースで勝つ事が競艇選手の目標であり、功績になりいます。
賞金を多く稼ぎ、上位の選手としてランクインする事が最高の結果でしょう。
その中で、フライングなどの事故を自ら自分で防ぐ努力や、周りの選手との駆け引きが結果を生むのでしょう。
今後の守田俊介選手の活躍はまだまだありますので、彼のレースには目が離せません。