池田浩二は最強ターンと言われるウイリーモンキーを得意としています。
競艇選手の池田浩二って何者なの?
今でこそ競艇では必須のテクニックとなっているモンキーターンですが、更にそれを改良したウイリーモンキーの発明者と言われ、ウイリーモンキーを武器に勝ち星を量産し、現役選手の中では絶対王者松井繁選手に次いでSGタイトルを2番目に多く手にしている競艇選手こそが、池田浩二です。
生年月日や出身地
池田浩二(いけだこうじ)は1978年4月3日生まれで愛知県常滑市出身、愛知支部所属の競艇選手です。
身長は170cm、体重は54kgで、血液型はO型、2019年1月時点では40歳です。
第81期として登録、登録番号は3941、A1級の超トップレーサーです。
競艇選手になったきっかけは?
競艇好きの叔父に競艇場に連れて行ってもらったことが競艇との出会いで、競艇選手になることが小さい頃からの夢だったと語っているので、この時には既に競艇選手になりたいという夢を持ったみたいですね。
ボートレーサーとしての目標
SGに出続けることであるという目標を掲げていましたが、既にとてつもないほどのSG優勝を飾っており、SGの顔役としても出場常連となっているので、目標を叶えていると言えますね。
趣味や特技など
過去にバレーボールをしていた経験があり、現在は趣味としてゴルフをしているようです。
池田浩二オフィシャルファンクラブ『BerryKozy』
フェイスブックのアカウントとして、公式ファンサイトがあり、池田浩二選手の情報が満載です。
ファンクラブにはしっかりと顔を出してくれるあたり、ファンサービスもしっかりしていて非常に好感度が高いですね。
池田浩二のレーススタイルと特徴
何と言ってもウイリーモンキーを使いこなしているというのが最大の特徴と言えます。
ウイリーモンキーはモンキーターンの際に、艇を持ち上げることによって水面殿抵抗を減らしターンを速くするという技術なのですが、モンキーターンの際にハンドルを引っ張る癖が本人にあり、その際に艇の先端が持ち上がった事で、偶然にも生まれたターン方法のようです。
操舵技術の高さは競艇学校時代から高く評価されており、本栖のチャンピオンにも輝いています。
基本は枠なり進入で強引なコース取りなどはあまりしません。
平均スタートタイミングは0.14で群を抜いて速いというわけではなく、どちらかというとスタートはあまり速くないとも言われています。
それもあってか、フライングはあまり起こすことなく、スタートは安定そのもの、高い操舵技術とターンで勝ちを積み重ねるレーススタイルです。
池田浩二の競艇選手としての成績
プロデビュー前の81期卒業記念競走にて堂々の優勝で本栖のチャンプとなり、リーグ勝率は2位で6.99という数字を残しています。
では、プロデビュー後の成績を見ていきましょう。
1997年11月にプロデビューを飾る
1997年11月19日に地元の常滑競艇場でデビューを果たし、初戦は6着という結果でしたが、その翌日には早くもデビュー初勝利を勝ち取ります。
競艇選手の中にはプロデビューしてから初勝利を挙げるまでに数年を要する選手もいることを考えると驚異的な強さを誇っている事が伺えますね。
初優勝は1999年5月
1999年4月29日から常滑競艇場で開催された中日スポーツ争奪捕第19回チャンピオン大会にて初優勝を飾りました。
4号艇から出場し、決まり手は抜きでした。
同年7月には早くもA1級へと昇格を果たし、メキメキと頭角を現すようになっていきます。
ちなみにこの年の1月26日にはG1初出場を果たしています。
G1初勝利は2000年
既に不動のA1級として君臨していた池田浩二は2000年1月25日からびわこ競艇場で開催された第14回新鋭王座決定戦競走で初勝利を飾ると、そのままG1初優勝を果たし、堂々の2着という結果を納めました。
SG初出場も2000年
2000年5月23日に蒲郡競艇場で開催された第27回笹川賞競走にてSG初出場を飾ります。
惜しくも初勝利…とはなりませんでしたが、2着を取るなど全国的な知名度がグッと上がった瞬間となりました。
G1初優勝は2002年
順調に成績を積み重ねていた池田浩二が欲しかったG1タイトルをついに獲得したのが、2002年7月4日から蒲郡競艇場で開催されたオールジャパン竹島特別開発47周年記念競走でした。
2号艇から出走し、綺麗なまくりで堂々のG1初優勝となりました。
SG初勝利も2002年
2002年8月27日から蒲郡競艇場で開催されたSG第四回モーターボート記念競走にてSG初勝利を飾りました。
1号艇で出場、1コースから安定の走りを見せての逃げにて勝利を手にしました。
勢いそのままに、同節でSG3勝をマークした後、10月30日から平和島競艇で開催されたSG第49回全日本選手権競走ではSG初優出、更に11月26日から津競艇場で開催されたSG第5回競艇王チャレンジキャップでは準優勝を重ね、賞金ランキングにその名を連ねると、初めての年末グランプリ出場を果たしました。
歓喜のSG初優勝は2003年
もはやSGの常連とも言える活躍ぶりを見せた2002年が終わり、迎えた2003年6月24日から丸亀競艇場で開催されたSG第13回グランドチャンピオン決定戦にて念願のSG優勝を果たしました。
圧倒的強さを魅せつける1号艇1コースでの決まり手逃げは圧巻の一言でした。
続々とSGタイトルを獲得する
2005年に賞金王シリーズ、2009年に総理大臣杯とモーターボート記念、2011年に笹川賞、全日本選手権、そして賞金王決定戦と3大タイトルを総なめにし、2011年はぶっちぎりの年間MVPを獲得しました。
モーターへの泣きコメントと着順結果の乖離
『モーターは全く噴いていない』
競艇選手はレース前に一言コメントを残し、自身の現在の調子と共にボート、ペラ、モーターの調整具合や前検の感想を述べるのですが、池田浩二が機力的な不満を述べていたのにも関わらず、2009年にSG総理大臣杯で優勝をしたことで、ファンに訝しげに思われたことがありました。
続いてのSGモーターボート記念でのコメントもモーターが良くなく機力が芳しくないと嘆いていました。
対する1号艇の絶対王者松井繁を跳ねのけての優勝劇に更に懐疑的に思われてしまった事もあります。
コメントは直前の選手の言葉となるので、舟券を購入する側から見れば大いに参考になる部分であることから、一見不思議ではあるものの、ファンを騙そうとしたとかではなく、あくまで自身が求めている水準にまでモーターが達していない、負ける気はもちろんないが、これでは勝てないかもしれない。だからこそ、強く前にでていつも以上のパフォーマンスとターンで圧倒し勝つんだ。
という言葉の現れだったように見えます。
難しいですよね(笑)短い言葉で思ってることの全てを伝えるのは到底出来ないわけですし、自分が想定しているモーターの水準に達していなかったのに、機力抜群だという嘘を言うわけにはいかないわけですから。
ただ、これらのことからわかるように実際にモーターは良くなかったかもしれないですが、それを覆すだけの超人的な操舵技術があったからこそ、SG優勝をもぎ取ることが出来た、と言えるでしょう。
ブルーインパルスがキャッチフレーズになる
驚異的な強さを誇った2011年の賞金王決定戦の時にキャッチフレーズとして『ブルーインパルス』とつけられました。
ブルーインパルスと言えば、航空自衛隊の曲技飛行の愛称です。
池田浩二の操舵技術があまりにも華麗で美しいことからこのキャッチフレーズが付けられたのだと思います。
SGタイトル制覇まであと二つ
超人的な強さでSGタイトルホルダーとなっている池田浩二は現在以下のSGで優勝を記録しています。
グランドチャンピオン決定戦(2003年・丸亀)
賞金王シリーズ(2005年・住之江)
総理大臣杯(2009年・多摩川, 2013年・平和島)
MB記念(2009年・丸亀)
東日本大震災被災地支援競走 笹川賞(2011年・尼崎)
全日本選手権(2011年・平和島)
賞金王決定戦(2011年・住之江, 2013年・住之江)
既に6つのSG優勝を獲得している事から、残すところ7月のオーシャンカップと11月のチャレンジカップのみとなっています。
ただ、2013年からSG優勝を果たしていないので、なんとか完全制覇を達成してほしいですね。
まとめ
2014年以降、優勝を欠かしたことはないですが、2016年のG1宮島チャンピオンキャップ開設62周年以来、ビッグタイトルにはなかなか恵まれない池田浩二選手には何としても残り二つのSG優勝を手にして欲しいですね。
近年では続々と若手と言われる選手達がぐいぐいとその実力をつけ、下から突き上げてくる事もあり、ベテラン勢が押され気味な印象もありますが、最強ターンとも言われるウイリーモンキーを手に、劇的な優勝劇をもう一度見せて頂きたいです。