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万年B級をいつ脱す?競艇レーサー油浦ゆみ(遠藤ゆみ)の実力とは

競艇 油浦ゆみ(遠藤ゆみ)
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競艇選手 女子

自身でデザインを手がけた赤いドラえもんヘルメットがひときわ目を引く油浦ゆみ選手。自分のことを「人一倍不器用」と言っていますが、実際はどんな競艇選手なのでしょうか?


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この記事の監修者
後藤孝男
競艇予想サイトNAVI 運営責任者【北村 功平】
1978年 2月11日生まれ。一橋大学卒業。大学時代から競艇にハマり、そのまま好きが高じて某スポーツ新聞社に入社。競艇をはじめ、競馬や競輪関連の記事を長らく担当。生粋の競艇好きで、休みの日もビールを片手に全国の競艇場に姿を表す。競艇を愛して22年、彼以上の競艇知識を持つ人間にはほとんど出会えない。競艇予想サイトNAVIでは全体監修を担う大黒柱。

油浦ゆみってどんな人?生年月日や出身地、特徴は?

油浦ゆみ

油浦ゆみは1986年8月12日生まれで滋賀県出身の競艇選手で、151センチ、46キロのO型、現在は32歳です。第107期生として登録、登録番号は4629で、2018年現在B2級のボート―レーサーです。
同期の女性レーサーには藤原菜希、松尾夏海がいます。
また、妹は遠藤エミで、同じく競艇選手です。

こだわりのドラえもんヘルメット

ドラえもんヘルメット 赤

油浦ゆみの特徴と言えば赤のドラえもんヘルメットです。現在使用しているものは自らがアクリル絵の具を使用して描いたお手製となっており、小学生の時からとにかくドラえもんが大好きで目をつぶっても両手でも描けるというほどの自信を持っています。
好きなものを身につけてのレースは気持ちが盛り上がり、モチベーションの向上とレースへの原動力に繋がっています。

ドラえもんヘルメット 黄色

ちなみに、現在の赤のドラえもんヘルメットは2代目で、初代は黄色のドラえもんヘルメットを京都府の二輪専門のペイントプロショップ井上製作所さんでペイントして作ってもらっていました。

やまと競艇学校を4度不合格

今や若手女子競艇界ではスタークラスの妹、遠藤エミをボートレーサーの道に勧めたのは紛れもない油浦ゆみだったのですが、なんとやまと競艇学校を4度も不合格してしまいます。
当時の年齢制限は14歳以上、21歳未満だったことで、年齢をオーバーしてしまい、夢半ばで終わってしまうところでしたが、2008年より制限が緩和され、15歳以上30歳未満でも受験資格を得られるようになったことから、やっとの思いで臨んだ5回目の受験でようやくその夢をかなえる事になりました。

油浦ゆみのプロデビュー後の成績は?

油浦ゆみのプロデビュー後

やまと競艇学校を4度も不合格してしまった事で、妹には5期上の先輩としてプロデビューを飾られてしまうなど、前途多難でしたが、プロになった後の彼女の成績はどれほどなのでしょうか?

デビューは2010年

2010年11月7日にびわこ競艇場で開催された一般レース瀟湘八景賞にてデビューを飾ります。
この時の結果は最終日まで全て6着と苦いものに終わってしまいました。

初勝利は2011年

2011年5月19日にびわこ競艇場で開催された、G3第20回びわこプリンセスカーニバルの2日目1R予選にて初勝利を飾ります。この時の決まり手はまくり差しでした。

2015年末にレースで事故を起こす

2015年12月30日、選手会会長杯争奪 2015年末ファイナルの2R一般戦にてレース中に事故を起こしてしまいます。
右肩に大けがを負い、2016年はリハビリ生活を余儀なくされてしまいます。

復帰戦は2017年に

1年間の休養をあけ、復帰戦となったのは、2017年3月21日から鳴門競艇場で開催されたヴィーナスシリーズ第12戦です。
惜しくも復帰戦で1着を取ることは出来ませんでした。

過去に2度の登録名変更がある。

登録名変更

競艇選手の中でも登録名変更を行うレーサーはあまり多くありません。
というのも、名前で覚えてもらっているという理由が一番大きく、急に変更をしてしまうことで引退してしまったのか?などと思われてしまうこともあるからです。
原則、登録名は本名に由来する必要はないので、いわゆる芸名のようなものを付けることも可能です。
では、油浦ゆみはどの様な経緯で登録名変更を行ったのでしょうか?

遠藤ユミから遠藤ゆみへ

デビュー当時は妹の『遠藤エミ』と同様『遠藤ユミ』として名前はカタカナ表記されていましたが、2012年4月には『遠藤ユミ』から『遠藤ゆみ』へと登録名を変更しています。
苗字が同じだけではなく、名前のカタカナ表記も似通っていて、二人が間違われやすいということが変更の理由だと思われます。

旧姓の遠藤から、結婚で油浦ゆみへ

2017年6月に一般男性と結婚をした事で、遠藤ゆみから『油浦ゆみ』へと登録名を変更しました。
女性レーサーは結婚を機に名前を変えるという方も多いので、その例に漏れずということだとは思いますが、実はレースの斡旋規則で同一苗字の選手は1節に2人までとされている(同一苗字が多いと選手の判別が難しく、ファンや実況が混乱するらしい)ようで、一説では、妹との直接対決を考えてのことだとも言われています。

最大の目標は妹『遠藤エミ』

最大の目標は妹『遠藤エミ』

最も身近な先輩として目標に掲げるのは女性のトップレーサーの一翼を担うようにもなった妹エミの存在です。
その為に必要なこと、それは何よりA1選手にのし上がることですが、なかなか厳しい戦いを強いられています。

実家で同居していた時のエピソード

2017年に結婚をするまでは、姉妹は実家で同居しており、大の仲良しだったといいます。
妹とは言え競艇界では先輩且つ、トップレーサーの一人であることから、レースのアドバイスを良く受けていたそうです。

2017年復帰後、改名後の初勝利

2017年8月11日からびわこ競艇場で開催された、G3オールレディース ビーナスちゃんカップの3日目2Rで会心の走りを見せます。

油浦ゆみは2号艇で登場し、レースはコース取りに動きはなく枠なり3対3の隊形で進入の展開となりました。
2コーススローからの戦いとなった油浦ゆみは.11のタイミングでスタートし1周1マークで差してバックで1号艇入船幸子と2艇並走の先頭争いの内側となりました。続く1周2マーク、内に突っ込んだ3号艇潮田浩子を先に行かせて冷静に差した彼女はホームで今度はその3号艇潮田浩子と2艇並走の先頭争いの内側となりました。

2周1マークでは今度は3番手から内に切り替えして先に回った1号艇入船幸子を行かせ、彼女がここも冷静に差しを決めます。

これが見事に決まりバックで3艇身抜け出して単独先頭に立ち、そのまま1着で見事ゴールを飾りました。

こうして油浦ゆみは登録名を遠藤姓から油浦姓に変更した後、初めての勝利を勝ち取りました。

まとめ

油浦ゆみ 人一倍不器用

油浦ゆみは自らを人一倍不器用だから、他の人よりも頑張らないとダメだと語ります。
妹遠藤エミとは、今では到底追いつけないというほどの水をあけられてしまっているわけですが、いつかは上の舞台で戦いたいと思っており、虎視眈々とそのチャンスを狙っています。
その為にはA1級にまずはなること。

今後の活躍を大きく期待したい選手ですね。

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