「初めて、競艇を見た時にかっこいいと思ったからです」と語る永井彪也選手がボートレーサーになったきっかけは「かっこいい」という直感が彼の行動をスタートさせました。
ファンの信頼を裏切らない競艇選手になることを目標に、若手ボートレーサーとして活躍中です。
競艇選手の永井彪也(ながい ひょうや)とはどんな人?
永井彪也選手がデビューしたのは19歳の頃であり、デビューからわずか3年あまりで、一般戦で優勝経験を持つ若手の注目株です。
今のボートレーサーは、イケメンが多いのですが、その中でも、永井彪也選手はその代表格と言えます。スタイリッシュな髪型に清潔感のある顔立ちで、若手によくみえるガツガツとした印象はなく、常にマイペースを崩さないクールな一面も見受けられます。
生年月日や出身地について
1992年11月15日生まれの東京都出身で、現在は東京都在住で東京支部に所属しています。身長165cm、体重51kg、血液型A型です。
登録番号4688 登録期109期 級別A1級に所属しています。
ボートレーサーの親族
意外な事実として永井彪也選手は、競艇選手の後藤翔之選手(上記の写真)、後藤隼之選手、後藤美翼選手の従兄弟になります。そのため、親族の競艇を幼い頃から見ていました。
ボートレース界でも、屈指のレーサー親族としても有名で、正月になると、4人のレーサーが集結するほどの仲の良い親族で、中学生の頃に後藤翔之選手の応援で、初めて多摩川競艇場へ行き、ボートに魅力に取り込まれたそうです。
その後、中学3年生から5回の受験を経験して、念願のやまと競艇学校へ入学しました。厳しかった訓練所時代も、本人のコメントで「人よりは怒られなかったかな」と振り返っています。
一番の思い出は、連帯責任で4時間以上も全員で正座をさせられたことだと、本人が話されています。彼が若くして頭角を現しているのも納得の理由です。
名前の由来について
「彪也」と書いて「ひょうや」と読みます。強くてたくましい男になれ!という願いから付けられたそうです。
名前からも、スター性を十分に読み解くことは可能ですが、永井彪也選手の訓練所時代を知る競走会関係者は「彼は面構えがいい。大物になる顔をしている」と、その風貌を評価しています。
永井彪也選手は、「まだ ターンに自信がない。少しずつ段階を踏んで上へ行きたい。ゴルフの石川遼選手のように、一人の人間としてもしっかりしていきたいです」と語っています。
初めて獲得した賞金両親の為に使用し、食事に連れて行った永井彪也選手。家族一丸で「強くたくましい」ボートレーサーを目指しています。
学生時代について
やまと競艇学校でのリーグ戦勝率は4・61であり、意外にも30人中21位の数字でした。
優勝経験はなく、決して良い成績ではなかったそうです。しかし、成績とは裏腹に担当教官たちは彼を絶賛していたそうです。成績として結果は出ていなかったものの、当時からポテンシャルを高く評価されていて、その陰に彼の努力があったことは簡単に想像できます。
本人の感想だと、「デビュー戦は全く緊張しなかったです。やることが多すぎて、それどころではなくて…。自分はどちらかというとあまり緊張しないタイプです。つらいことがあっても結構、楽しんじゃうんですよ」と話すデビュー当時の永井彪也選手です。
学生時代のから、大物のような落ち着きを放っていたそうです。
趣味や好きな事について
もともとは、サッカーが大好きで経験もあり、学生時代にサッカー部に所属し、練習に勤しんでいたそうです。
趣味としては、読書とスポーツを挙げており、運動神経の良さを伺うことができます。
好きな食べ物としては、カレーライスとのことで、このような可愛い一面が人気の秘訣なのではないでしょうか。休日には好きなことをして体を休めているようです。
競艇選手は身体が資本で、過去に運動部に所属している選手が非常に多いです。やはり、肉体、精神が強くないとボートレーサーで活躍するには、難しいのだと思います。
競艇選手として経歴
やまと競艇学校時代にリーグ戦勝率は4・61の成績を残しています。
2011年11月、平和島競艇場での第24回東京新聞盃でデビューしています。(6号艇6コース、2着)
2011年12月、多摩川競艇場での第27回多摩川カップで水神祭を飾りました。(5号艇6コース、決まり手は差し)。
2014年10月、芦屋競艇場での第9回マリンテラスあしやカップで初優出しています。(6号艇6コース、4着)。
2014年12月、戸田競艇場での第5回太田胃散カップで初優勝しました。(4号艇4コース、決まり手は抜き)。
2017年7月、浜名湖競艇場でのG1浜名湖賞開設64周年記念でG1初出場しています。
2017年8月、若松競艇場でのSG第63回ボートレースメモリアルでSG初出場しています。(ボートレース多摩川推薦)。
2017年9月22日、蒲郡競艇場でのG1ヤングダービーでG1初勝利を飾りました。(1号艇1コース、決まり手は逃げ)
この若さでG1レースに優勝できるのは、凄いと思います。やはり、やまと競艇学校の教官たちが見抜いていた通り、競艇選手としてのセンスや、精神的に強いものが備わっているのだと思います。
期別成績について
集計期間:2018/05/01-2018/10/31
勝率6.47
2連対率44.30%
3連対率69.79%
出走回数149回
優出回数2回
優勝回数0回
平均スタートタイミング0.15
フライング回数0回
出遅れ回数(選手責任)0回
能力指数55
1着23.5%(35回)
2着20.8%(31回)
3着25.5%(38回)
4着11.4%(17回)
5着10.1%(15回)
6着8.1%(12回)
伸び悩みからの脱出
デビュー当初から天性の旋回力、新人離れした冷静なさばきで、メキメキと頭角を現していった永井彪也選手。
それからは停滞していた日々が続き、しばらく足踏み状態が続きました。
2017年の4月の江戸川ゴールデンウイークを制した後、同年8月には再び江戸川でGIII企業杯、そして多摩川のお盆開催と3度の優勝を飾りました。
2度目のGI参戦に向けて、前哨戦となった多摩川ウェイキーカップでは、初戦でフライング。「SG前のいい流れもあったので、頑張りたいと思っていたんですけどね…。それが裏目に出た。きっとこれが自分に足りない、精神的な部分だと思います」と語っていました。
しかし、最終戦でしっかり2着に入り込み、勝負強さを発揮して見せてくれました。
若手選手は、A1クラスのベテラン選手に比べて、経験数の差が出るのは当然だと思います。デビュー戦の頃は、他の競艇選手に分析もされていませんが、やはり優勝することで、他の選手も、永井彪也選手の動きや、攻め方を計算してくると思います。その中でも、本人が自分を見つめ直せる力がある選手が、一流で活躍する選手になるのだと思います。
ターニングポイントは毒島さんの平和島周年V機を引いたルーキーシリーズ
2017後期には、初めてA1級に昇格を果たしています。同年には、2期連続でA2級に残留していました。
当時の事を、本人は「本当の力がなかったんだと思います。今は違います。成長している部分もありますよ」と自信を持って話されています。
そんな彼の転機は、昨年7月です。
本人のコメントで「毒島さんの平和島周年V機を、直後のルーキーシリーズで引いたんです。その毒島さんのペラを見て、自分の蓄積とか考え方と実際に乗った感じがバチッてはまったんです。いろいろなことがつながったというか。そこから夏場も冬場も安定してエンジンを出せるようになったのが大きいですね。毒島さんには感謝しています」と語っています。
先輩レーサーやトップを走る、ライバルのスキルを取り入れたことが成長の鍵だったそうです。
永井彪也選手に可能性を感じる理由
確実に経験値を積んで、進化し続けている永井彪也選手が地元記念レースに初出場しました。
初舞台のSGを経験し「エンジンさえ負けなければ十分にやれる自信を得た」とトップレーサーへの道が姿を見せました。
しかし、直後に出場した若松「メモリアル」での結果は惨敗。同様にSG初陣だった山田祐也(徳島)が水神祭=初勝利を挙げています。
永井彪也選手は数日間、勝利はなく「自分の力不足を痛感した。足りないものがたくさんあることが分かりました」としっかりと現状認識をしたそうです。
その上で「ただレースの中で学んだことも多かった。高いレベルの方々と直接、レースして分かったことも多い。レースにしても調整にしても、すぐに変えられるものではないけど、しっかり考えて場合によっては、今までのやり方を捨てて、新しいやり方に挑戦することもある。ここでの収穫をしっかり生かしたい」と語り、現状としっかり向き合い、堂々と前を向く姿勢に彼の可能性を引き立ててくれています。
まとめ
ひた向きに前を見て突き進んでいくその姿勢が彼の魅力であり、甘いマスクに隠れた闘争心が彼を応援したいと思わせる一つの要素だと考えられます。
一戦ごとに、成長していく永井選手の進化は未知数であり、自分の事を客観的にみなおせ才能が彼にはあると思います。
これからSGの経験を多く積むことで、他の強い選手の攻め方や逃げ方、または精神力の維持を身につけると、恐ろしい選手へ進化するのではないでしょうか。
ますます目が離せない存在になっていく、永井彪也選手の今後の活躍を期待していきたいと思います。