デビュー時からイケメンで話題ともなっていた後藤 翔之はどの様な人物なのでしょうか?
ルックスも実力も注目度急上昇中の後藤 翔之ってどんな人?生年月日や出身地、プロフィールは?
後藤翔之(ごとうしょうし)は1986年3月9日生まれで東京都稲城市出身、東京支部所属の競艇選手です。
169センチ、54キロのO型、2018年現在は32歳です。
第101期生として登録、登録番号は4460で、現在の級別はA1級です。
競艇選手になったきっかけは?
生まれ育ちが東京都の稲城市ということで多摩川競艇から近い事もあり、小学生の頃から父や祖父に連れていかれていたことで、興味を持ったそうです。
最終的に祖父から勧められたことが一番のきっかけになりました。
趣味や休日の過ごし方は?
中学・高校時代はフェンシングやサッカーをしており、フェンシングでは全国3位、サッカーでは全国大会に出場するなど、運動神経の良さは当時からずば抜けていたようですね。
現在もサッカーやフェンシングを趣味とし、子供のころから毎年行っているスノーボードを欠かさないなど、とにかく体を動かすことが好きなようです。
休日は買い物に行ったり旅行にったり、飲みに行ったり、書類に目を通したり、英会話のレッスンを受けたりしているとか。
奥様は元グラビアアイドルの秋山莉奈さん
2015年の6月に後藤翔之と秋山莉奈さんは結婚をしました。
2人が出会うきっかけとなったのは、同じくボートレーサーで先輩の中野次郎選手に食事会に誘われたことであるといい、その時はお互いに相手がいたのですが、その後共通の友達の結婚式で再会し、連絡を取るようになったということです。
ちなみに中野次郎選手の結婚相手は佐々木梨絵さんで、この方も元グラビアアイドルだったということらしいですよ。
また2016年2月19日には元気な男の子が2人の間に生まれています。
やまと競艇学校を6回受験している
高校3年生の時に初めて受験をするも失敗し、その後関東学院大学に入学しつつ、競艇学校の受験は続けていましたが4度の受験失敗を機に大学を中退、その後6度目の受験でようやく合格することが出来ました。
親族も競艇選手
後藤翔之の実弟の後藤隼之、妹の後藤美翼、そして従兄弟の永井彪也はいずれも競艇選手です。
後藤隼之の登録番号は4676、後藤美翼の登録番号4680で二人とも登録109期として卒業した事は当時話題にもなりました。
それぞれがボートレーサーになったきっかけはわかりませんが、恐らく後藤翔之と同様に多摩川競艇に行き、祖父に勧められたんだろうなって感じがしますよね。
尊敬する競艇選手は?
師匠である柾田敏行さんを挙げています。
高齢にもかかわらず今なお努力を続け、結果を出している姿勢に改めて師匠のレーサーとしてのプライドに胸を打たれ、自身も努力をしようと心に誓ったそうです。
後藤翔之の競艇選手としての成績
6度の受験を経て、ようやく合格へとたどり着いた後藤翔之は今までボートレーサーとしてどの様な成績を収めているのでしょうか?
やまと競艇学校時代の成績
プロ後の成績が見通せ、実際ににも影響があるんじゃないか?とも言われる卒業記念競走では優出を果たし2着、リーグ勝率7.79 準優出7 優出4 優勝1の好成績をおさめました。
ちなみに修了記念レースを優勝したのが101期を牽引している篠崎仁志でした。
プロデビュー戦で堂々の3着に
2007年11月22日から多摩川競艇場で開催された第30回関東日刊紙競艇記者クラブ杯の初日、3Rでプロデビューします。6号艇出場ながら初戦で3着と堂々の成績を残します。
デビュー11走目で初勝利
2007年12月6日から戸田競艇場で開催された第2回隼杯の初日、6Rでデビュー初勝利を飾ります。また、3日目、8Rでも嬉しい2勝目を手にしました。
初勝利をあげずに引退してしまう選手もいるなかで、これだけの速さでの勝利をもぎ取るというのは実力のなせる業ですよね。
同期を圧倒する堂々の勝率を記録する
デビューした2007年11月から2008年4月30日までの成績は101期の中では断トツでトップの成績となりました。
勝率3.93、二連対率15.56%、三連対率35.56%、1着回数は8回、2連対回数は14回、3連対回数は32回と新たなるホープの誕生を伺わせる強さでした。
これに食らいつくように居たのが修了記念優勝者の篠崎仁志で、同期ではこの二人のみが2008年7月からB1昇格を果たすこととなります。
初優出で初優勝の快挙
2008年9月12日から下関競艇場で開催された一般競争で初めての優出を果たすと、最終日12R優勝戦では3号艇から出場、決まり手はまくり差しで圧巻の初優勝を果たしました。
立ち込める暗雲
順風満帆の成績を重ね、2009年初頭には早くもA2へと昇格した後藤翔之でしたが、突如として急ブレーキを踏むことになってしまいます。
実はデビューした2007年にはFはありませんでしたが、S1を3度行っていました。
2008年にはS0を3回、S1を3回、そしてFをつけてしまいます。
そして2009年は29回の1着をおさめるも、優出は一度のみで結果が振るわず、S0が3回、S1が2回、S2が3回、Fが2回と勝ち星は上げていくもののB2級へ降格し、トラブルが目に余るようになっていきます。
2010年になり、出走数が増え、1着2着の回数も格段に増えましたが、優出は2回のみ、トラブルは続き、S0が3回、S1が3回、S2が1回、Fが2回に加えK0を2回と恵まれない展開となっていきます。
2011年は成績が右肩上がりとなり、1着2着が更に増え、優出回数は11回と優秀でしたが迎えた2012年に最大のトラブルに見舞われます。
全部で4回のフライングを喫す2012年
念願のA1昇格の叶った後藤翔之が直面した不幸、それはF3による90日の休みでした。
1度目は2012年3月15日から鳴門競艇場で開催されたG3スポニチ賞中道善博杯争奪G3新鋭リーグ戦第4戦競走の3日目10Rでのフライング。
2度目は2012年6月14日から多摩川競艇場で開催されたG3新鋭リーグ第12戦是政王子決定戦の初日12Rでのフライング。
3度目は2012年10月6日から鳴門競艇場で開催されたG3新鋭リーグ第1戦中道善博杯争奪スポニチ賞競走4日目9Rでのフライング。
極めつけは2012年10月16日からびわこ競艇場で開催されたG3新鋭リーグ第2戦 第47回新鋭戦4日目12Rでのフライング。
A1レーサーとして大きく羽ばたくだろうと思われた後藤翔之でしたが、B1に必要となる50走を走ることが出来ず、B2落ちが決定してしまうという都合4度のフライングの代償はあまりにも大きなものでした。
再起を誓う新たなる決意
初優出での初優勝という華麗なデビューを飾った後藤翔之はこの時のことを以下のように語っています。
「最初はよく分からなかった。やってしまった~って感じで…。出走回数は減るしB2スタート。FしようものならA級に復帰できない。転覆すればすぐに事故点が加算され勝率も稼げない。A1に戻ることを考えて事故を抑え、6点ちょっと取ることだけを考えた」
「休みの日も減量を続けた。体重は50キロをキープしないといけないと思っていたが、そうすると体力が落ちているのを感じた。今は52~53キロくらいで毎日ランニングして体力をつくるようにしている」
F休みの間に、同期の篠崎仁志、片岡雅裕が活躍した事にも刺激されたといいます。
これが結実したのか、復帰した2013年7月、B2へ降格した初めてのレースである第13回さわやか杯で優出し実に5年ぶりの見事な優勝を果たします。
また、全日を通して1着3回、2着5回、3着1回と全てにおいて舟券に絡む活躍を見せてくれました。
2014年は優勝戦のFでヒヤリとするも…
2014年には早々にA1復帰を果たしましたが、1月には優勝戦でFを喫したことで、まさか再び悪夢が訪れるのか?とも思われたのですが、5度の優出、1度の優勝と危なげない成績で年間通してA1級に居座り、迎えた2015年に今までのうっ憤を晴らすような活躍を魅せつけます。
大爆発した2015年
結婚を発表した2015年はなんと、17回の優出で6回の優勝を果たします。
ちなみに年間成績の1着率は3割超、2連対率は6割近く、3連対率は7割を超える勢いと大活躍しました。
第8回多摩川蛭子カップ
2015年1月10日から多摩川競艇場で開催された第8回多摩川蛭子カップで1回目の優勝を飾ります。
このレースでは全日通して、1着が3回、2着が4回、3着が1回と素晴らしい3連対率100%。
日本MB選手会会長杯
2015年2月27日から唐津競艇場で開催された日本MB選手会会長杯で2回目の優勝を飾ります。
このレースでは、1着が5回、2着が2回、3着が2回、5着が1回とここでも3連対率9割を記録します。
第55回デイリースポーツサマーカップ
2015年8月11日から平和島競艇場で開催された第55回デイリースポーツサマーカップで3回目の優勝を飾ります。
ここでは、10レース中1着が7回、2着が2回、3着が1回と再び100%の3連対率となります。
スカパー!・JLC杯
2015年9月3日から児島競艇場で開催されたスカパー!・JLC杯で4度目の優勝を飾ります。
初日にS0、3日目に4着となりましたが、1着は6回、2着は1回、3着は1回とここでも素晴らしい走りを見せてくれました。
男女W優勝戦 第39回サンケイスポーツ杯
2015年9月13日から江戸川競艇場で開催された男女W優勝戦 第39回サンケイスポーツ杯で5度目の優勝を手にします。
4日目の4着を除いてすべてにおいて舟券に絡む大活躍でした。
津プライドラウンド第2戦アラウンド33選手権
2015年10月23日から津競艇場で開催された津プライドラウンド第2戦アラウンド33選手権で6度目の優勝。
ここでは4連勝を含む8回の1着を飾り、前日通しての3連対率100%を記録しました。
貴重なSG初勝利を手にした2016年
2016年3月16日から平和島競艇場で開催された第51回ボートレースクラシックで2度目のSG出場を果たすと、2日目8Rに自身初のSG勝利を手にします。
5号艇から出場、決まり手はまくり差しでした。
ただ、この2016年は2015年に見られたすさまじい勢いが鳴りを潜め、優勝をする事は無く、勝率を大きく落としてしまいます。
この背景にあったのは…F2でしょう。
1月と5月にフライングをしてしまった事で、魔のF3を阻止したいという気持ちがどこかにあったのではないか?とも思います。
最も欲しい優勝に手が届かない
2017年もA1レーサーとして10回の優出、3回の優勝をするなど、安定した成績を収めた後藤翔之ですが、実は一般戦以外での優勝を経験したことがありません。
G1優出経験はあれど、SGの優出は無し。大一番の舞台で結果を残せないことを、自身も痛感しているようです。
まとめ
華々しいデビューを飾り、一時はフライングに泣かされたものの、それを乗り越えて復活した後藤翔之が目指すのは何と言ってもG1、SGの初制覇でしょう。
2018年9月はG1ウェイキーカップ開設64周年記念での優出を果たすも、5着となってしまいましたが、心のうちに秘めた闘志は爆発寸前の予感がします。
近いうちにタイトル制覇、期待したいですね。