2015年の賞金ランキング1位にも輝いたことのある、トップレーサーの山崎智也とはどのような選手なのでしょうか?
艇界の貴公子『山崎智也』とはどんな人なのか?生年月日や出身地、競艇選手になったきっかけは?
山崎智也(やまざきともや)は1974年3月11日生まれで群馬県出身の競艇選手で、165センチ、55キロのA型、現在は44歳です。第71期生として登録、登録番号は3622です。
元女子競艇選手の横西奏恵さんと結婚しています。
競艇選手になったきっかけは?
多くは語られていませんが、競艇選手を目指したきっかけとなったのは実の父親の勧めだったと言われています。
群馬県立館林高等学校を中退している事から、在学中に決心をして本栖研修所に入学したということなのかもしれないですね。
横西奏恵さんも元トップレーサー
2010年12月1日に山崎智也さんと、横西奏恵さんは結婚をします。
2011年5月の笹川賞では夫婦そろって初日ドリーム戦のメンバーに選ばました。夫婦揃ってSGドリーム戦に参戦するのは史上初であり、SGでの夫婦対決に枠を広げても1988年の笹川賞で鈴木幸夫・弓子夫婦が対決して以来となる出来事でした。
また、2012年12月19日にボートレース界を震撼させることとなったのは、横西奏恵さんの引退劇です。
その3日前まで賞金女王決定戦で戦っていた、女子レーサーのトップ選手がまさかの引退をする事になるとは、誰も思っていなかったとの事です。
愛娘もボートレーサー養成所を卒業
山崎智也さんと、横西奏恵さん、二人の娘である山崎小葉音さんは123期卒業生2018年9月21日に卒業式をむかえました。
まさに競艇界のサラブレッドとしてプロデビュー目前ということで、いずれ親子対決なんてこともあるかもしれないと思うと期待してしまいますよね。
艇界の貴公子と言われる理由とは?
アイドル並みのルックスが一部のファンに話題となり、デビューまもなくから注目を集めていました。
その為、特に女性ファンが多く、優勝戦出場選手や開会式の選手紹介インタビューの時には沢山の女性ファンがサインを求め、声援を送っています。
ライジングスターと呼ばれる所以とは?
W賞金王のキャッチフレーズとはBOATRACE振興会が、BOATRACE(競艇)で年末に行われる賞金女王決定戦と賞金王決定戦の出場選手をイメージさせる呼び名を募集するものであり、2012年の賞金王決定戦にて山崎智也につけられたのがライジングスターでした。
漫画・アニメ『モンキーターン』潮崎のモデルとして登場している
競艇漫画の金字塔とも言える『モンキーターン』に登場する「潮崎」は山崎智也がモデルとされています。
そのキャラが登場する以前に、作者の河合は取材中に山崎と面会しており、山崎が「帯をギュッとね!」のファンであり、「モンキーターン」も愛読していることを知って、作者自身も彼のファンになったと公言しています。
山崎智也の成績とは?
山崎智也は1991年の第71期生として本栖養成所に入所し、1992年の秋口に桐生競艇場にてデビューを飾ります。
注目すべきは1997年の出来事で、ここから一気に全国区へと押し上げられる事になります。
1997年にSG初制覇を記録
1997年、既にA1レーサーとして活躍していた山崎智也は、10月7日から唐津競艇場で開催されたSG第44回全日本選手権競走にてSG初優勝を飾ります。
3号艇で出場し、5コースからのスタートとなりましたが、4カドは、SG史上最年少制覇記録をもつ服部幸男であり、彼が好スタートを決めてみせたとき、多くのファンは間違いなく服部の優勝を確信しました。
しかし、山崎はマクる服部の内ふところに鋭角なマクリ差しを突き刺すと、そのまま先頭に立つ事になります。
服部も追いすがろうとはしたものの、山崎のターンは先輩をまるで寄せ付けようとはしませんでした。
そのまま服部を突き放して、1着にてゴールを決め、23歳の山崎が、SG初制覇を衝撃的な走りで果たす事となったのです
この時の逸話として服部に
「前を走られて、はじめて名前を覚えたよ」
と言わしめたとか。
ちなみにSGは同年8月のモーターボート記念競走で初出場して以来2度目の出場で初優出でした。
2度目のSG優勝を記録する1998年
1997年末の賞金王決定戦にも出場し、一躍全国区の選手へとのし上がった山崎智也は1998年5月19日から桐生競艇場で開催となったSG第25回笹川賞競走にて2度目のSG優勝を飾ります。
6号艇出場、決まり手は恵まれでした。
また、この年は9月のG1第42回赤城雷神杯競走・桐生競艇開設記念、10月のG1ウェイキーカップ・44周年記念においても優勝し、G1レースで2勝を記録しています。
2001年に大きな挫折へと直面する
短期間での2度のSG優勝を記録した山崎智也でしたが、1999年にG1優勝を含めた3勝、2000年にはG1レース3優勝と素晴らしい成績を収めますが、SGタイトルは取れずにいました。
そんな中、迎えた2001年はG1での優勝2回、一般レースでの優勝2回で年末の賞金王決定戦に出場を果たします。
優出したことで、SG優勝が見られると期待も高まったのですが、まさかのフライングによって向こう1年間のSG出場停止というペナルティを課せられてしまいます。
SGタイトルから遠ざかる結果となってしまいますが、2002年はそのうっ憤を晴らすかのような圧巻の成績を収める事になります。
SG出場停止の2002年
ビッグタイトルこそ獲るチャンスを失ってはしまったものの、2002年はなんと全部で9回の優勝を収めています。
内訳は、G1レースは2度、G2レースで1度、一般戦で6度の優勝となっています。
そうして迎えることになる2003年、表舞台へと再び返り咲く事となります。
2003年、貴公子の再臨
SG出場停止が解け、2003年3月25日に戸田競艇場で開催されたSG第38回総理大臣杯にて再びSGの舞台へと帰ってきます。
優出を果たした優勝戦では、4号艇出場で2着という好成績を収めます。
これだけでは終わらない。
貴公子復活となれば当然呼ばれる5月のSG第30回笹川賞では優出はしませんでしたが4勝を記録すると、続く6月のSG第13回グランドチャンピオン決定戦でも3勝、7月の第8回 SGオーシャンカップでは2勝、優出で3着、8月のSG第49回総務大臣杯争奪モーターボート記念では2勝を収め、SG戦線に一気に風吹き込みます。
そうして迎える2003年10月29日から戸田競艇場で開催されたSG第50回全日本選手権競走で、ついに3度目のSGを手にすることになります。
松井繁や服部幸男などの猛者たちが集まった優勝戦に1号艇出場、決まり手は逃げで完全な勝利でした。
ちなみに、笹川賞の優勝は史上2人目の、ファン投票1位での優勝でした。
G1での6優勝と安定した成績を残す2004年と2005年
SGでの優勝は出来ずとも5回の優出をした2004年、2回の優出を果たす2005年とタイトルは無くとも主役としてシリーズを盛り上げます。
また、2年間の間に12階の優勝、うちG1では6度の優勝を記録しました。
4度目のSG優勝を果たす2006年
2006年5月23日から戸田競艇場で開催されたSG第33回笹川賞で自身4度目となるSG優勝をマークします。
西島義則や原田幸哉などの人気選手を抑え1号艇出場、決まり手は逃げで圧巻の優勝劇となりました。
また、この年は全部で6度の優勝となり、G1レースも2度制覇しています。
大いなる壁に当たる苦悩と挫折
競艇選手にはよくある、大きなスランプの年がここまで素晴らしい成績を記録していた流石の山崎智也にも訪れてしまいます。
2007年は5度目のSG優勝を記録するも…
奇跡の復活劇から順風満帆な山崎智也でしたが、2007年からスランプに陥るようになってしまいます。
2度の優勝は記録していましたが、連続出場していた年末の賞金王決定戦に出場が出来ない程の低調ぶりとなりました。
ただ、第22回賞金王決定戦競走シリーズ戦で優勝をし5度目のSG優勝をした事で、スランプから脱し、歯止めがきいたかと思われたのですが…
止まらないスランプの2008年
5度目のSG優勝によって勢いを取り戻すと思われた山崎智也ですが、2008年はSGで予選突破を一度も果たせない上、優勝は一般戦の2度のみに終わり、結果年末の賞金王決定戦を2年連続で出場できずに終わってしまいます。
まさかの優勝ゼロ、苦悩の2009年
長く暗いトンネルから抜け出せないまま迎えた2009年は試練とも言える年となってしまいました。
優出はわずか8回、8月の第55回モーターボート記念競走では久しぶりのSG優出となりましたが、不運のS0(選手責任外の失格)になるなど、結果を残せずじまいとなってしまいました。
最後に優勝した2008年の3月4日から次に優勝を手にする事になるのは、実に2010年の12月10日となってしまいます。
一矢報いる2010年12月
負のスパイラルから中々抜け出すことが出来ずにいた2010年の年末に、ついに優勝を手にすることになります。
2010年12月6日から丸亀競艇場で開催された一般テレポートカップにて約3年ぶりとなる優勝を記録すると、続く12月18日から住之江競艇場で開催されたSG第25回賞金王シリーズ戦にて優出し、4号艇出場、決まり手はまくりで自身6度目のSG優勝を果たしました。
7度目のSG優勝となる2012年
6度目のSG優勝でも完全復活とはいかず、2011年はわずか1度の優勝のみに終わりつつも、10度の優出のうち、G1は5つ、SG1度と復活の兆しを見せだします。
2012年になり、G2での優勝や第22回グランドチャンピオン決定戦、第58回モーターボート記念にて2度のSG優出でそれぞれ2着を取るなどをして、2007年以来の賞金王決定戦へと駒を進めます。
運命を左右する事になった2012年12月の住之江競艇場。SG第27回賞金王決定戦競走で優出をすると、松井繁、井口佳典、瓜生正義らのトップランカーたちを相手に4号艇出場、枠なりの進入で2番手のスタートを決めますが、トップから最下位までの差は僅か0.04秒差の団子状態でした。
しかし、ダッシュの4コースから舟足を伸ばし、1周目・1マークで捲り差しを敢行、逃げる1号艇の松井を捉えてバックストレッチで逆転。次の1周目・2マークを先に回りトップを航走、その後は一度も先頭を譲ることなくゴール決まり手はまくり差しでて悲願のSG7度目となる賞金王優勝となりました。
完全復活を遂げた2014年
賞金王決定戦での優勝を機に、一気に勢いを上げて無双モードへと入るかと思われた2013年は2度の優勝のみとなり、本調子とは言えないままでしたが、2014年からかつての栄光を取り戻したかのような7度の優勝、そのうちG1が5回という活躍ぶりでした。
賞金ランキング1位で最優秀選手に選ばれた2015年
前年からの勢いが止まらずに迎えた2015年は史上5人目の快挙ともなるSG3冠を達成する事になります。
5月に大村競艇場で開催された第42回ボートレースオールスター、6月に宮島競艇場で開催された第25回グランドチャンピオンへと輝くと
12月に住之江競艇場で開催された第30回グランプリ/グランプリS – 決定戦で優勝を記録します。
また、同年はG1レースにおいても優勝3度とタイトル総なめ状態だったことから、2位とは2倍近い差の獲得賞金229,330,000円で、賞金ランキング1位に輝き、最優秀選手に選ばれることとなりました。
11回目のSG優勝を手にした2016年
怒涛の2015年を終え、一息つく間もなく2016年6月21日から蒲郡競艇場で開催された第26回グランドチャンピオンにて1号艇の魚谷、2号艇の毒島、そして3号艇の山崎智也らを相手取り、決まり手はまくりで11回目のSG優勝を記録します。
まとめ
2017年は優勝2回、2018年は優勝1回、いずれも一般レースにとどまり、SGタイトル戦での優出は無く、再び不調になっているようにも見受けられる山崎智也ですが、ここまで2度の苦難を乗り越えて劇的な優勝を遂げてきている競艇選手なので、しばらくの停滞の後、再び大きく王者へと返り咲いてくれると思います。
ひょっこり年末のグランプリシリーズ辺りを獲ってくるんじゃないか?と期待してしまえるところこそが、彼の魅力なのかもしれないですね。