倉持莉々選手はご存知ですか?
競艇選手でもある倉持莉々選手は実は、水球日本代表としてロンドン五輪予選にも出場した経験のある人物です。
「水球」「競艇」と才能を開花させた彼女は華のある人生に思えますが、実は「競艇選手」になる直前に不運にみまわれてしまったのです。
それでは、倉持莉々選手の波乱万丈な経歴を見ていきましょう。
女性競艇選手、倉持莉々とはどんな人?
倉持莉々選手(くらもち りり)という、競艇選手(女子ボートレーサー)は、茨城県の出身で、茨城には競艇場がないので、支部は東京支部に所属している競艇選手です。
デビューは2014年5月の「114期生」にあたり、水神祭ではキレイなバク転でキメてくれたが、2019年1月時点でまだ初優勝はありません。
同期女子は全員で6名おり、その中でも既に「競艇女子」で勝又桜選手、塚脇奈美選手がいます。
女子競艇選手とは、男子に混ざって過酷な訓練を卒業したものしかなれません。
彼女のそんな魅力と生い立ちを含め、どんな競艇選手なのか詳しく紹介していきます。
倉持莉々選手は水球の才能が凄かった!
実は、倉持莉々選手選手は競艇の才能を開花させるだけではなく、「水球」、「料理」、「イラスト」でもかなりの才能を持っている女性でした。
その中でも「水球」に関しては単に「上手」とか「県大会に出場した」という地区大会程度の優勝レベルではありません。
平成24年に開催されたJOCジュニアオリンピックカップで優勝し、優秀選手賞を獲った経歴の持ち主です。
また、中学時代には全国制覇、高校時代には全部優勝と、かなり多くの実績を残しています。
さらに、高校時代には水球の日本代表として選ばれ、ロンドン五輪予選にも出場した実績の持ち主です。
ちなみに、倉持莉々選手が選ばれた水球日本代表は「海の神」を意味する「ポセイドンジャパン」という呼び名が付けられていたそうです。
倉持莉々選手はなぜ「水球」をやろうと思ったのでしょうか。
そのきっかけとして、倉持莉々選手の兄が元々水球をやっていたからだそうです。
最初はシンクロから始めたそうですが、シンクロが自分に合わないと感じ、隣のコースで水球を練習していた兄の姿を見ていて、「球技が好き」、「水泳も幼稚園からやっていた」ということもあり自分も水球に挑戦するようになりました。
水球は小学5年生のときからはじめ、高校3年になるまでやっていたということですが、「隣のコースで水球を練習しているのを見て」ということは、シンクロや水球に触れ合える機会があったという事でしょう。
倉持莉々選手は茨城県の出身ですが、その様な機会が多いのは非常に珍しい環境に思えます。
また、オリンピックの予選まで上り詰めるには、それなりに厳しい練習だったようです。
朝練→ 授業→ 夜まで水球→ 寮に帰る→ の繰り返しといった生活で「ごはんを食べる時以外はずっと水の中にいた」と語っています。
その練習の甲斐があって、高校2年の17歳の時に日本代表に選ばれることになりました。
なぜ高校時代に水球日本代表まで上り詰めた倉持莉々選手が、どういった経緯で「水球」よりも「競艇選手」になる道を選んだのかきになりますね。
倉持莉々選手の学生時代はどんな子だった?
倉持莉々選手の出身が茨城県で、小・中・高の学生時代は水球漬けだった事がわかりました。
通っていた小学校は、茨城県の土浦市にある地元の「土浦市立東小学校」という小学校で、ホームページを見ると、「水球」や「シンクロ」などは部活としてあるわけじゃないようでした。
倉持莉々選手の通った中学校も同じ地域の「土浦市立土浦第三中学校」で、この中学は以前「マンモス校」と呼ばれ各学年11クラスもあったこともありましたが、今では生徒も少なくなったようです。
「土浦市立土浦第三中学校」の部活リストを見てみたが、やはり「シンクロ」も「水球」も無い事が判明しました。
水球に関しては、別にスイミングスクールなどに所属して行っていたようです。
そして高校は、偏差値は41-48ぐらいの埼玉県上尾市にある「秀明英光高等学校」に進学ししており、ここで初めて「水球」という部活に出会います。
「秀明英光高等学校」の水球がどんなレベルのものなのか、倉持莉々選手の時のものではないが、YouTubeでもう上がっているようです。
この高校の水球はすごいと有名なものでした。
「水球」のレベルが高かったのは、倉持莉々選手が在学していた一時期のものではなく、現役の秀明英光高等学校生は2020年の東京オリンピックを狙っているというから、後輩も頑張っている名門校のようです。
ここで彼女は、毎日水球の練習に励み、水球選手とて育っていきました。
倉持莉々選手は料理上手!
倉持莉々選手の料理の腕前はなかなかなものです。
倉持莉々選手自身でブログやTwitterを運営していますが、そこに料理の写真を載せている事があります。
料理とはいっても、簡単なものから難しいものまで、幅広いジャンルの料理を作っています。
最近ではおしゃれなカフェの様なワンプレート料理にハマっているそうです。
得意料理は、春巻き、から揚げ、ミートローフなど「手間かかるのが好き」だと倉持莉々選手は語っています。
Twitterを見ると、倉持莉々選手選手がビールジョッキを片手にする写真がアップされています。
結構酒好きな印象があるので、「唐揚げ」などのビールに合う料理が好きなのかな?という印象を受けます。
また、倉持莉々選手には6歳下の弟もいるそうで、当時高校生だった弟に「キャラ弁」を作るなど弟思いの面倒見の良い面も見せてくれます。
多彩のセンスもある倉持莉々は絵も上手
倉持莉々選手のもうひとつの特技である「イラスト」も、Tシャツをデザインは独特な絵のセンスでしょう。
特に本人を意識して描いたわけではないが、倉持莉々選手が着ていたTシャツ見て、A1級のレーサー「江夏満選手」に似ていると選手間で話題になり、当の江夏満選手本人もその出っ歯のレーサーの絵をとても気に入っているようです。
スポーツも競艇も料理も絵もセンスが高いのは、才能といえるでしょう。
倉持莉々選手に少しデザインの修正をお願いして、自分の「89期 登録番号4136」にしてもらい、大量に作ったTシャツを他の選手にも配っている選手もいるようです。
あと、今度倉持莉々選手がレースに出ている時にはヘルメットに注目してもらいたいです。
倉持莉々選手のヘルメットは、倉持莉々選手がデザインしたもので、以前に「競艇女子」で記事書いた、同期の中村桃佳選手が色違いのお揃いのヘルメットを使っています。
中村桃佳選手はあまり「こだわりがない」性格ですが、倉持莉々選手も「中村桃佳選手はこだわりがない」ことをあげた上で、「次のヘルメットのデザインも(桃佳から)頼まれているけど大変なんです。でもきちんと作ってあげたい。自分のものもそうだけど、次もこだわります。」と、親友に対する思いを話していました。
デザインに対して妥協しない姿勢が、インタビューから推察できました。
中村桃佳選手も自分のヘルメットをとても大切にしているようですね。
同期メンバーでは「格下」ではなく、一段上のレベルにいる中村桃佳選手だから、倉持莉々選手にとっても良いライバルとなって励みになるだろう。
このようにボートレーサーでありながら、実に多く事を器用にこなすのが倉持莉々選手ですね。
波乱万丈な倉持莉々選手の人生
倉持莉々選手が競艇を知ったキッカケは、よくある競艇選手のパターンで「父の影響」だそうです。
小学生高学年くらいの時に、父親に埼玉県にある戸田競艇場に連れられて行った時に、その時のボートレーサーがカッコよく印象に残ったそうです。
実は、その時に倉持莉々選手は自分の中で「競艇選手」を目指す事は決めていたと語っています。
また、父親はどうしても娘をボートレーサーにさせたかったそうです。
「水球」の才能を開花させていましたが、高校がいざくちゅうに水球日本代表に対しては「ボートレーサー養成所に合格したら辞めます」と事前に宣言していたそうで、監督も応援してくれていました。
そして、競艇の魅力に惹かれた倉持莉々選手は、競艇選手を目指す事になりました。
ボートレーサー養成所の試験に無事合格し「あとは入学式に行くだけ」という入学する前にまさかの、入学を断念せざるを得ない事件が起こってしまいました。
彼女を襲った悪性リンパ腫
彼女は「ホジキンリンパ腫」という悪性リンパ腫の一種で、日本人にはとても珍しい病気になってしまいました。
自分の症状に対して倉持莉々選手本人は、原因は多忙なスケジュールが重なったからと思っていました。
当初は、ボートレーサー養成所の入学試験のための「減量」で免疫力が落ちたところに、水球日本代表としてのロンドン五輪予選の「海外遠征」が重なり、どこかでウイルスをもらってしまったのかもしれないと思っていたそうです。
しかし、思い返せば高校2年の時に海外遠征がずっと続いて、腹が痛くて夜中に寝れず、その時から自覚症状があったといいます。
まさか悪性リンパ腫、「ガン」だとは本人も気づかなかったでしょう。
「ホジキンリンパ腫」と診断され入院した日は、行くはずだったボートレーサー養成所の入学式の日で、自分の誕生日でもあったそうです。
人生で一番の悪夢のような日でしょう。
倉持莉々選手本人は「病気」の原因が分かり、治療できると分かったことで回復に専念し、すぐに「治ったらまた受験しよう」と決意しました。
それから1年半後に見事、再受験して無事に入学できました。
「ハッピーエンド」になったから言うが、入院した日がボートレーサー養成所の入学式の日で、更に自分の誕生日って、まるで出来すぎた「悲劇のような話」ですよね。
あとはグランプリで優勝して名レーサーになれば、凄いレベルでしょう。
父親の想いやプレッシャーも感じながら、病気を乗り越え、1年半越しにデビューすることができたというのは本当に凄いですね。
小学校の時から「将来の夢はボートレーサー」と決めていたと言うが、本来入学する予定だった日に入学できなかった悔しさが増し、以前よりも「絶対、ボートレーサーになりたい!」と強く思ったそうです。
現在は「ホジキンリンパ腫」は完治し、今は半年に1度、検査を受けているくらいになっていますので、今後の彼女に期待したいですね。
まとめ
今回は、競艇選手の倉持莉々にフォーカスをあて、競艇選手としての能力や生い立ちを紹介しました。
病気になってしまい、競艇の人生は少し遅れていますが、ここまで来た彼女のセンスと今後の活躍には期待したいですね。
水球でオリンピック選手になる実力があるのに合わせて、料理や絵の才能もあり、その上競艇選手にもなれる彼女ですので、どんな困難にも立ち向かっていけるでしょう。
ぜひ、レースで見かけたら応援してみて下さい。