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通算1,000勝以上の競艇レーサー!村越篤の凄さとは?

競艇 村越篤
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競艇選手 男子

村越篤は40歳の今もなお現役のボートレーサーとして第一線で活躍しています。かめばかむほど味がでる玄人好みのボートレーサーで、2017年には通算1000勝を達成しました。村越篤とは一体どんな人物なのでしょうか?プロフィールや競艇選手になったきっかけ、デビュー時期の成績などを徹底的に調査しました。


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この記事の監修者
後藤孝男
競艇予想サイトNAVI 運営責任者【北村 功平】
1978年 2月11日生まれ。一橋大学卒業。大学時代から競艇にハマり、そのまま好きが高じて某スポーツ新聞社に入社。競艇をはじめ、競馬や競輪関連の記事を長らく担当。生粋の競艇好きで、休みの日もビールを片手に全国の競艇場に姿を表す。競艇を愛して22年、彼以上の競艇知識を持つ人間にはほとんど出会えない。競艇予想サイトNAVIでは全体監修を担う大黒柱。

40歳で現役!香川支部の村越 篤って?生年月日や出身地やプロフィール、競艇選手になったきっかけは?

村越篤

村越篤は1978年2月12日生まれのみずがめ座で身長は168センチで血液型はO型です。愛媛県出身で香川支部に所属しています。ボートレーサーとしての登録番号は3907で80期です。同期には鎌田義選手、白井英治選手、平田忠則選手、白石健選手、重成一人選手などがいます。

きかっけは知人の言葉

ボートレーサー 村越

村越篤がボートレーサーになろうとしたきっかけは知人のすすめがあったからだそうです。また、ボートレーサーとしての目標は「日々努力を積み重ねることです。」と答えています。
スポーツはジェットスキーの経験があり、趣味がダイビングという事なので、水の上を走るボートレースは村越篤にとっては天職だったのかもしれませんね。
ちなみに好きな食べ物は「なんでも好き」という事で、好き嫌いなく何にでもチャレンジしてみるという精神を持っているのではないでしょうか。

デビューは1997年に地元のボートレース丸亀にて

新人ボートレーサーは舟券に絡みにくい

村越篤のデビューは1997年5月9日で、地元のボートレース丸亀(丸亀競艇場)でした。一般戦のデイリースポーツカップに出走し、その節の成績は5着、6着、5着、4着、4着、4着、6着、6着となりました。デビューの節では4着に入るのも大変なので、なかなか凄いです。デビューしたての新人ボートレーサーは、転覆や接触の危険性が高いために、自主的にスタートのタイミングを取りやすい6コースに行くという暗黙の約束事があります。ですので、新人ボートレーサーは舟券に絡みにくい着順となります。

初優勝はデビューから二か月後!ボートレース下関にて

初勝利は、なんとデビューからわずか約2か月後

村越篤の初勝利は、なんとデビューからわずか約2か月後の2017年7月15日の事でした。デビューから1年以上初勝利ができないボートーレーサーもいる中で、約2ヵ月での勝利は素晴らしいの一言に尽きます。
ボートレース下関(下関競艇場)にて開催された一般戦の「日刊サマーカップ」にて、最終日の1Rで村越篤は競艇人生で初の勝利を飾り、水神祭を経験しました。2号艇ながら新人の為に6コースからの進入で、見事なまくりで1着でゴールを決めます。一緒にレースをしたボートレーサーは50代が4人とベテランばかり!村越篤はこの時に19歳ですので、まさに父と子の年齢差くらいある方達ばかりとのレースですね。そんなベテランばかりのレースで1位を取るのは本当に素晴らしいですね。この頃から才能の片鱗が見え隠れするようです。

初優出は2000年!ボートレース常滑にて!

この時の村越篤は若干21歳

村越篤の初優出は、2000年1月7日から2000年1月12日にボートレース常滑(常滑競艇場)にて開催された一般戦の「スポニチ杯争奪 第16回英傑戦」での事です。この節での村越篤の成績は、4着、5着、3着、1着、4着、1着、1着、2着と好成績を残し、競艇人生で初の優出となります。
最終日の覇者決定戦では、4号艇で5コースからの進入で6着という残念な成績となりましたが、周りが自分よりもベテランでクラスの高いボートレーサーばかりだったので、健闘したのではないでしょうか。この時の村越篤は若干21歳でした。

初優勝は2000年!ボートレース浜名湖にて

3号艇5コースからの進入でまくり差しにて1位でゴール

村越篤の初優勝は、初優出となった節の次の節、同年の2000年1月20日から1月23日にボートレース浜名湖(浜名湖競艇場)にて開催された一般戦となります。初優出してからわずか一週間後の事なので、何か競艇スタイルの勝ち方のきっかけを掴んだのかもしれませんね。この節の村越篤の成績は、1着、1着、3着、3着、1着とかなりの好成績を納めております。最終戦では、3号艇5コースからの進入でまくり差しにて1位でゴールしました。同レースに参加したボートレーサーは、A1級が3人と、A2級が2人で、B1級の村越篤は一番格下でしたが、見事に下剋上を果たしました。当時の記録を見ると人気も高くなっていたので、この若手レーサーの腕前は競艇ファンからも認められだしたのでしょうね。

村越篤の主要レースと成績

一般戦で勝ち星を荒稼ぎしているタイプのボートレーサー

通算1000勝以上している村越篤ですが、意外にもG1の初優勝は2016年と遅く、SGの初出走も2016年となっています。G1の優勝経験もその時の1度しかなく、SGの優勝経験はありません。一般戦で勝ち星を荒稼ぎしているタイプのボートレーサーなのでしょうか?村越篤の主要レースの成績を検証していきます。

G1の初出走と初勝利は2001年!ボートレース鳴門にて

村越篤は22歳でA2級

村越篤がG1に初出走し初勝利したのは、2001年2月1日から2月6日にかけてボートレース鳴門(鳴門競艇場)にて開催された「G1第44回四国地区選手権競争」での事でした。この時、村越篤は22歳でA2級のボートレーサーとなっています。G1初勝利は4日目の3Rで2月4日の出来事となります。1号艇1コースから進入した村越篤は見事な逃げを披露し1着でゴールを切りG1初勝利を飾りました。このレースでも27歳~50歳までのベテランレーサーが多く22歳の村越篤は一番の若手ながら1位を獲得しています。この節での村越篤の成績は、6着、5着、5着、2着、1着、3着、4着、3着としり上がりに順位をあげていますが、序盤が良い着順ではなかったのでG1初優出とはなりませんでした。

G1初優勝は2016年!デビューから19年後!

G1 優勝したのはただの1度だけ

村越篤がG1に初めて優出したのは2003年2月2日です。村越篤は今までG1に49節出場して404出走して52回の1着を獲得していますが、優勝したのはただの1度だけで、それもデビューから19年後の2016年となります。2016年9月27日から10月2日にかけてボートレース江戸川(江戸川競艇場)にて開催された「G1江戸川大賞 開設61周年記念」のレースで見事に初優勝となります。優勝戦では、天才「瓜生正義」や長崎支部のエース「原田幸哉」やモンキーターンの主人公のモデルとなった「濱野谷憲吾」などそうそうたるメンバーが出走しています。並みいる強豪を押しのけて1号艇1コース1番人気となった村越篤は、インからの速攻の逃げで初優勝を飾りました。この時に村越篤は、エース18号機というとんでもないパワーを出す怪物モーターを引き当てて予選でも全てが舟券に絡む成績を残しています。優勝したのもこの18号機のおかげだとインタビューで答えていました。
村越篤は「江戸川巧者」と呼ばれおり、ボートレース江戸川で開催されたレースでは良成績を残していました。ただG1の優勝はいままでになかったので、江戸川で優勝し結果を出せたのは相当嬉しかったでしょうね。

まとめ

ボートレーサー 村越

村越篤は2008年5月21日に500勝を達成、2016年10月13日に1000勝を達成し、2018年現在でも現役のボートレーサーとして勝ち星を積み上げています。ボートレーサーは50代でも活躍している方が大勢いるので、村越篤は40歳の今でもまだまだ伸び盛りの選手といえます。G1やSGにもちょこちょこ顔を出す選手ですが、意外にもG1の優勝経験は1度きり、SGは優勝経験は無しです。データだけを見ると大舞台ではあまり結果を残せていませんが、一般戦やG2、G3であればかなり期待の出来る選手ではないでしょうか。今後の村越篤の走りに要注意です。

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